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教会論

(24) - キリスト者の結婚観(マタイ19:3-11)그리스도인의 결혼관

cocoa 2026. 3. 11. 15:38

 

 (24) キリスト者の結婚観(マタイ19:3-11) 

 

さて、今日の御言葉はマタイの福音書19章3節から11節までです。私が朗読いたします。

 

(マタイの福音書 19:3-11)
3 パリサイ人たちがイエスのもとに来て、イエスを試みて言った。「人はどんな理由でも妻を離縁することが許されているのでしょうか。」
4 イエスは答えて言われた。「人を創造された方が、初めから彼らを男と女に造られたことを、あなたがたは読んだことがないのですか。
5 そしてこう言われたのです。『それゆえ、人は父と母を離れて妻と結ばれ、二人は一体となるのである。』
6 こういうわけで、もはや二人ではなく一体なのです。それゆえ、神が結び合わせたものを、人が引き離してはなりません。」
7 彼らは言った。「それでは、なぜモーセは離縁状を与えて離縁せよと命じたのですか。」
8 イエスは言われた。「モーセはあなたがたの心がかたくななので、妻を離縁することを許したのです。しかし初めからそうだったのではありません。
9 あなたがたに言います。だれでも不品行の理由以外で妻を離縁し、他の女と結婚する者は姦淫を犯すのです。」
10 弟子たちは言った。「もし男と妻との関係がそのようなものなら、結婚しないほうがよいでしょう。」
11 しかしイエスは言われた。「この言葉はだれもが受け入れられるものではなく、ただそれを授けられた者だけが受け入れるのです。」

 

さて今日は、私たちは「キリスト者の結婚観」について共に見ていきたいと思います。

今、私は二組のカップルにメレッジ・カウンセリング(marriage counselling)をしていますが、意外なことに、若者が多い私たちの教会において、このキリスト者の結婚観についてよく知らないまま、ただ先輩たちが歩いてきた道をそのまま踏襲している人たちが多いように思われます。そこで、そもそも神はなぜ私たちに結婚というものを許されたのか、家庭とは何なのかということを、私たちが少しは知っておく必要があると思い、この説教を準備しました。

 

長老様が、私がこの説教をするという話を聞いてこう言いました。

「牧師先生はどうして信徒が聞いたら出て行ってしまうような説教ばかりするのですか。もう『聖霊論』をやったせいで半分は減りましたよ!」(笑)それで牧師たちの間ではこんな話があります。「罪について、悔い改めについて、離婚や結婚について、聖霊論、賜物論、これらについては絶対に説教するな。三週間説教したら信徒は半分になる。」こういう暗黙のルールが牧師たちの間で行き来しているのです。

しかし、どこでも語られないなら、私だけでも語らなければならないと思って、この説教をしています。もちろんこの説教を聞いて、

心が不快になる方もおられるでしょう。しかし聖書が何と言っているのかを知らなければ、私たちは自分の人生を導いていくことはできません。ですからよく聞いて参考にしてください。

 

最近、ある世論調査機関によると、韓国ソウル江南の主婦の75%が離婚を夢見ているという発表がありました。

「今すぐ夫と離婚したい」と思っている人が75%だというのです。つまり25%を除けば、75%が離婚を夢見ているということです。

そしてロサンゼルスのあるキリスト教新聞の記事によると、キリスト教を信じるクリスチャン家庭の40%がすでに離婚しているそうです。つまり、道を歩く二人に一人は離婚しているということです。

そしてその割合はますます増えていると問題提起されていました。

韓国のある長老教の神学校で、その学校を卒業した牧師1000人を対象にアンケートを行いました。

「もしもう一度結婚できるなら、今の妻と結婚しますか。」という質問に、90%がノー(No)と答えました。

10%がイエス(Yes)または棄権でした。ある人は頼まれてもいないのに横に括弧を書いて「頭おかしいのか?」と書いていたそうです。(笑)それほど結婚というのは大変で難しいものなのです。

 

そして日本では高齢者の離婚が最近ブームになっていると言いますね。

一生子どものために、また世間体のために我慢して生きてきて、子どもたちがみな結婚した後、人生の終わりまで「そんな損をして生きることはできない」と、おばあさんたちが反乱を起こしたというのです。

新聞の見出しに「おばあさんたちの反乱!」というタイトルがあるのを私は見ました。

つまり、今表面に現れている離婚だけでなく、離婚を夢見ている人たちを含めれば、さらに多くの人たちが表に出ないまま離婚を考えながら、無理やり生活を続けているという現状なのです。

なぜでしょうか。いったいなぜなのでしょうか。

 

韓国には「家族娯楽館」という娯楽番組があります。

司会のホ・チャムさんが昔私をとてもかわいがってくださって、私はよく見ていましたが、今でもやっているようです。

その番組には何十年も続く「スピードクイズ」というコーナーがあります。

これは二人が向かい合って、一人の後ろに単語を書いた札を持った人が立ち、向かいの人がその単語を説明します。それを前の人が当てるというものです。

仲の良いことで有名なおじいさんとおばあさんが、このスピードクイズに参加しました。

後ろに掲げられていた言葉は「天生縁分(運命の相手)」でした。おじいさんは、それまでこのおばあさんが自分のすることに一度も反対せず、まるで召使いのように自分に仕えてきたので、自分たちの関係を説明すればすぐ当てられるだろうと思いました。

そこで余計な説明をせずに「あなたと私の関係」と言いました。するとおばあさんは「仇(かたき)!」と言いました。

おじいさんは「しっかりしろ、四文字だ!あなたと私の関係だ!」と言いました。するとおばあさんは「一生の仇?」と言ったのです。

 

一方では自分はとても幸せに生きていると思っているのに、もう一方は一生を犠牲にして生きていることがあります。

外から見ると幸せそうで、小さな天国のように見える結婚でも、中に入ると内面は不幸な結婚が多いのです。

なぜ結婚生活はこんなに大変なのでしょうか。

考えてみてください。夫婦というのは最も近い関係です。しかし最も近いのに、最も多く争う関係が夫婦です。 

最も近いのに最も争う関係。おかしいように思えますが、よく考えてみると、「この結婚というものには、私たちが知って理解している目に見える意味以外に、何か別の霊的な意味があるのではないか」と考えてみる必要があります。

だからこそ最も近い関係でありながら、絶えず争いがあるのです。

ですから聖書が結婚をどのように説明しているのかを見ながら、なぜ夫婦関係がこれほど難しくなるのかを、聖書の中から探してみましょう。

 

今日の本文では、イエスがご自身の死と復活について語られ、神の国について語り続けておられる途中で、「離婚」について語られ、そしてまた神の国について説明を続けておられます。

つまりイエス・キリストが語っているのは、結婚や離婚というものは、神の国の本質を説明するために与えられたものだということです。

今パリサイ人たちがイエスを罠にかけようとして持ち出したのは、申命記24章の話です。

「モーセは離縁状を書けば離婚できると言った。あなたはどう思うか。」という問いです。

申命記24章では、モーセが「結婚して妻が恥ずべきことをしたなら、離縁状を書いて離婚してよい」と言っています。

それをもってパリサイ人たちはイエスを試したのです。

しかしこの申命記の話をよく読めば、それは離婚を許可するためではなく、当時の男たちがむちゃくちゃに離婚していた社会において、

法律的な安全装置を一つ置いたものなのです。「勝手に離婚するな。正式な手続きをして離縁状を書いて離婚せよ」ということです。

そしてモーセは「体が汚れた者を決して受け入れてはならない」と言っています。

つまり体が汚れた者は神の国に入れないことを説明するための話なのです。

申命記24章4節にはこう書いてあります。

 

(申命記 24:4)
4 …主があなたに相続地として与えるその地を、罪によって汚してはならない。

 

ここで言う「主が与える地」とはカナン、つまり神の国を指しています。

姦淫した者、体を汚した者は神の国に入れないということを示しているのです。

聖書では偶像礼拝を「姦淫」と呼びます。つまり、あなたがたは皆姦淫した者であり、皆離婚された者である。

しかしイエス・キリストという方法がなければ、あなたがたは決して神の国に入れないということを説明するための話なのです。

 

それにもかかわらず、このパリサイ人たちは自分たちの利益を得るためにイエスを試しました。

当時、ヘロデ・アンティパスはアラビア人の女性を妻として迎えていました。

王妃はアラビア人だったのですが、その女性と離婚して、弟の妻であったヘロディアを奪って強引に結婚しました。

それを非難した洗礼者ヨハネは首をはねられました。

ですから、イエスがどのように答えても困難に陥る状況でした。

もし「離婚してはいけない」と言えば、ヘロデ・アンティパスに告発されます。

そうなればイエスも洗礼者ヨハネのように首をはねられるでしょう。

もし「離婚してもよい」と言えば、「ユダヤ人の教師が離婚を認めるのか」と責められます。

彼らはイエスを困らせるためにこの質問をしたのです。

さらに当時のユダヤ人の間には二つの学派がありました。ヒレル派とシャマイ派です。

ヒレルはシャマイの弟子でしたが、より開放的な立場でした。この二人の思想をまとめた人物がガマリエルです。

使徒の働きに登場し、弟子たちを守ろうとしたあのガマリエルです。そしてガマリエルの最も優れた弟子が使徒パウロでした。

この二つの学派は結婚について異なる考えを持っていました。ヒレル派は「恥ずべきこと」があれば離婚できると教えました。

その「恥ずべきこと」とは、例えば妻が料理が下手であれば恥ずべきことだとして離婚できる、隣の女性より妻が不美人なら離婚できる、

妻が夫の前で夫の家族の悪口を言えば離婚できる、というようなものでした。

このように馬鹿げた理由で簡単に離婚できるようにしたのがヒレル派でした。

 

一方、シャマイ派は非常に保守的でした。

この人たちが一緒に来てイエスに質問した理由は、ヒレル派は自分たちの自由な離婚の考えに確認の印をもらいたかったからであり、

シャマイ派は「私たちは離婚していない」という自分たちの義を誇りたかったからでした。

つまりどちらもイエスを困らせ、自分たちの利益を得ることが目的だったのです。

離婚が良いか悪いかには本当は関心がありませんでした。

そこでイエスは神の国の本質によって答えられました。

イエスはパリサイ人の質問に対して、創世記の創造の話を用いて説明されたのです。「男は父母を離れて妻と結ばれ、二人は一体となる。だから決して分けてはならない」と言われました。表面的にはシャマイ派の意見を支持しているように見えますが、イエスは根本的に違う話をしているのです。

 

創世記を見ると、神は「我々のかたちに、我々の似姿に、人を造ろう」と言われました。男だけを造ったのでもなく、女だけを造ったのでもなく、夫婦を造られたのです。「我々のかたちに」という複数形でありながら一つとして表現されています。

創世記1章26節のように、神は複数でありながら一つです。

その神の本質と形を反映して造られたもの、それが男と女、すなわち夫婦なのです。

つまり夫婦とは神の本質、神のかたち、複数でありながら一つであるという神の国を示すものです。

イエス・キリストを頭として教会が一つの体となるように、神の国を説明するために、聖書は夫婦という制度を私たちに与えたのです。

さらに結婚とは何かを明確に説明しているのがエペソ書5章です。そこでは「夫たちよ、妻を命をかけて愛しなさい。

妻たちよ、主に従うように夫に従いなさい」と言われています。そして最後に何と言うでしょうか。

「私はキリストと教会について語っているのだ」と言うのです。

夫婦の話をしながら、「この奥義とは、キリストと教会の関係を教えるためのものだ」と言っているのです。

つまり結婚の目的は、「寂しさを紛らわせて幸せに暮らしなさい」ということではありません。

「神の国とは何かを理解しなさい」という目的で与えられたものなのです。

しかしクリスチャンであっても罪の肉体を持っており、堕落した本性が残っています。

そのため、いつも成功的に結婚生活を通して神の国を表すことはできません。人間は皆アダムから罪に陥ってしまいました。

ですから私たちは生まれながらの罪人です。本来は神のかたちに造られ、神と共に歩むべき存在でした。

しかし私たちは神と離婚した者になってしまいました。神との関係が断たれてしまったのです。

ですから私たちは自分の力では家庭を神のかたちのような愛の関係にすることはできません。

だからこそ、自分の力では神の国のかたちの家庭を作れないことを悟り、神の恵みを求めるようになるのです。

それが結婚なのです。神の恵みを求め、その恵みを経験しながら変えられていくこと、それが結婚です。

私たちが争い、失敗し、問題が起きるたびに、人間の力では神の一つになる働きができないことを悟ります。

そして「私にはイエスが必要だ」と気づくのです。その恵みの場が家庭なのです。

結婚を通して私たちは幸せを作るのではなく、聖さを作るのです。教会の目的も「幸福」ではなく「聖さ」です。

しかし人々が幸福ばかり追い求めた結果、聖さを失い、世から非難される教会になってしまいました。

家庭とは、相手を試金石として自分を知る場です。試金石とは金かどうかを削って確かめる石です。

相手を通して「自分はこの程度の存在なのだ」と知ること、それが結婚なのです。

そして本物か偽物かを確認しながら、神が求める水準へと成長していくのです。

なぜ天国には結婚がないのでしょうか。イエスは「天国では嫁ぐことも娶ることもない」と言われました。

それでも地上に結婚を置かれたのは目的があるからです。それは結婚生活を通してイエスを知り、自分の存在を知り、イエスの助けを求める恵みの場に導くためです。それが家庭なのです。

 

ジョン・ウェスレーの妻は、世界三大悪妻の一人だったと言われています。トルストイの妻、ソクラテスの妻、そしてジョン・ウェスレーの妻。この三人が「世界三大悪妻」と言われます。

ウェスレーが伝道や集会から帰ってくると、「あなたお疲れさまでした」と言うどころか、髪の毛をつかんで書斎の中をぐるぐる引き回したそうです。「自分のことをちゃんとやりなさい!」と言って。

しかしウェスレーはその妻を送り出す時、こう言いました。「あなたは、神が使徒パウロに与えた“とげ”のように、神が私にくださった贈り物だ。」
「私が高慢にならないように与えられた贈り物だ。私が傲慢にならないように、いつも私を踏みつける道具として神がくださった贈り物だ。」と言ったのです。

それなのです。夫婦とはそのことに気づかなければならないのです。

イエスの時代の男たちも、結婚を自分の必要を満たすもの、また自分の重荷を代わりに背負ってくれる人を得ることだと考えていました。相手の背景や財産、外見などを利用して、自分の重荷を相手の肩に背負わせること、それが結婚だと思っていたのです。

だから弟子たちはすぐこう言いました。「主よ、それが結婚なら結婚しない方がいいです。」(10節)

 

10 弟子たちは言った。「もし男と妻との関係がそのようなものなら、結婚しない方がよいでしょう。」

 

その通りです。もし自分の望むものを相手から得ようとする結婚なら、結婚しない方が百倍楽です。

私たちは罪人なので、お互いに要求し合い、ぶつかり続けるからです。

だからパウロも「結婚しない方がよい」と言いました。「独身でいる方がよい。しかし自制できないなら結婚しなさい。」と言いました。

それほど結婚は難しく責任の伴うものなのです。

しかし人々がそれをあまりにも簡単に考えて結婚するので、うまくいかなくなるのです。

なぜ神が作られた美しい結婚がこんなに苦しくなったのでしょうか。それは罪のためです。

創世記では、神は罪を犯した人間に呪いを宣告されました。特に女性に対してこう言われました。

「あなたは夫を慕うが、夫はあなたを支配する。」

ここで「慕う」という言葉は「支配する、掌握する」という意味です。つまり女は男を支配したがるのです。

しかし男は女を治めるように命じられているので、衝突が起きるのです。これが呪いなのです。

だから聖書と福音を正しく理解しなければ、幸せな家庭を築くことはできません。

女は男を支配しようとし、男は女を支配しようとするので、夫婦は毎日争うことになります。

私も結婚初期にはテレビのリモコンを五つくらい投げました。手に持っていて投げるものがそれしかなかったからです。

安いのでまた買えるからです。

それほど夫婦とはぶつかるものなのです。福音を知らなければ、最後までぶつかり続けます。

なぜ童話はすべて王子と姫が結婚するところで終わるか知っていますか。シンデレラも白雪姫もそうです。

結婚後まで書いたら、子どもに読ませられない内容になるからです。

福音を知らなければ、幸せな家庭は築けません。

私たちは結婚生活を通して、イエス・キリストと結ばれた者として生きるのです。

キリストは神に命をかけて従われました。そして教会のために命を捨てられました。

私たちがキリストと結ばれているなら、その生き方が私たちの生活にも現れるべきです。

妻がどんなに敵のようなことをしても、命を捨てて愛したキリストを思いながら耐えること。それが結婚です。

妻はどうでしょうか。従うのです。たとえ理不尽でも、キリストが命をかけて従ったその従順に倣うのです。それが家庭の目的です。

もちろん失敗します。しかしその時、「イエスはどうして私たちのような人間を愛したのだろう」と考えるのです。

その恵みを知るほど、私たちは変えられていきます。それがクリスチャンの結婚です。

男と女が争ったら、どちらが勝つと思いますか。女が勝ちます。

男は土から作られ、女は骨から作られたので、ぶつかると壊れるのは男です。

だから最初から降参して、死んだように生きる方が家庭の平和には良いのです。

私たちは結婚を通してイエスを学び、恵みを知り、聖さへ向かうのです。

財産が増えることや子どもが成功することが良い家庭なのではありません。

少し貧しくても互いに愛し従い、神の国の姿を少しずつ作っていく家庭、それが聖書の言う家庭です。

福音を知らなければ結婚の意味も分かりません。意味を知らないまま結婚すれば不幸になります。

本当の幸せな家庭とは、夫婦が神の子として作られていく家庭です。

ある人はこう言います。「あの夫のせいで早く天国に行きたい。」それはむしろ成功です。結婚は神を慕うようにするためにあるからです。

結婚の考え方を変えなければなりません。

幸せな結婚生活を望むなら、イエスを知らなければなりません。福音を学ばなければなりません。

相手の外見、財産、学歴などを見て結婚するなら、それが消えたとき関係も終わります。

結婚とは、何も持たなくても天国を共に経験しながら生きることを共に考え努力することです。

それが結婚です。

私たちは皆、神と離婚した者でした。それなのにイエス・キリストによって、神と永遠に離れない結婚をした者になったのです。

それを悟っていくこと、それが家庭の本当の意味です。

互いに犠牲がなければ家庭は成立しません。互いに自分の利益だけ求めるなら、争いは終わりません。

だから離婚した人を指差して責めてはいけません。私たちは皆神と離婚した者だからです。

重要なのは、自分がどんな存在かを知り、イエスの助けが必要だと悟ることです。

それが結婚です。

 

それでは最後に、第一コリント7章10節から16節を読みます。

 

(1コリント 7:10-16)

10 結婚している者に命じます。妻は夫と別れてはいけません。
11 もし別れたなら再婚せず、夫と和解するか、夫は妻を離縁してはいけません。
12 信じない妻がいても共に住むことを望むなら離縁してはいけません。
13 信じない夫でも同様です。
14 信じない夫は妻によって聖なるものとされます。
15 しかし信じない者が離れていくなら離れさせなさい。
16 妻よ、あなたが夫を救うかどうかどうして分かるでしょうか。夫よ、あなたが妻を救うかどうかどうして分かるでしょうか。

 

クリスチャンは性格の違いや経済問題で離婚してはいけません。

しかし信仰の問題で信仰が壊されるなら離婚は許されます。

それでも神は最後にこう言われます。「もしかしたら、その人を救うためにあなたがそこに置かれているのかもしれない。」

夫婦生活は大変です。

しかし福音を知る私たちは、相手ではなく、その中にいるイエス・キリストを見るのです。

「イエスはどうして私たちを愛したのだろう。」「どうして命を捨てて従われたのだろう。」

その恵みに感謝しながら、一歩一歩変えられていくとき、私たちはこの地上で「地上の天国」と呼ばれる家庭を築くことができるのです。

 

 


 

 

(24) - 그리스도인의 결혼관 (마19:3-11)

 

 

자, 오늘 말씀은 마태복음 19장 3절에서 11절까지의 말씀입니다. 제가 봉독해드리겠습니다.

 

(마태복음 19:3-11)

3 바리새인들이 예수께 나아와 그를 시험하여 가로되 사람이 아무 연고를 물론하고 그 아내를 내어버리는 것이 옳으니이까

4 예수께서 대답하여 가라사대 사람을 지으신 이가 본래 저희를 남자와 여자로 만드시고

5 말씀하시기를 이러므로 사람이 그 부모를 떠나서 아내에게 합하여 그 둘이 한 몸이 될지니라 하신 것을 읽지 못하였느냐

6 이러한즉 이제 둘이 아니요 한 몸이니 그러므로 하나님이 짝지어 주신 것을 사람이 나누지 못할지니라 하시니

7 여짜오되 그러하면 어찌하여 모세는 이혼 증서를 주어서 내어버리라 명하였나이까

8 예수께서 가라사대 모세가 너희 마음의 완악함을 인하여 아내 내어버림을 허락하였거니와 본래는 그렇지 아니하니라

9 내가 너희에게 말하노니 누구든지 음행한 연고 외에 아내를 내어버리고 다른 데 장가드는 자는 간음함이니라

10 제자들이 가로되 만일 사람이 아내에게 이같이 할진대 장가들지 않는 것이 좋삽나이다

11 예수께서 가라사대 사람마다 이 말을 받지 못하고 오직 타고난 자라야 할지니라 아멘.

 

자, 오늘은 우리가 ‘그리스도인의 결혼관(結婚觀)’에 대해서 함께 살펴볼 겁니다. 제가 지금 메리지 카운슬링(marriage counselling)을 두 커플을 하고 있는데, 의외로 우리 청년들이 많은 우리 교회에서, 이 그리스도인의 결혼관에 대해서 잘 알지 못하고, 그냥 우리 선배들이 가는 길을, 그냥 답습하는 사람들이 많이 있는 것 같아서, 도대체 하나님은, 왜 우리에게 결혼이라는 것을 허락하셨으며, 그 가정이라는 것은 무엇인가에 대해서, 우리가 좀 알고 있어야 될 필요가 있다는 생각에서, 이러한 설교를 제가 준비를 했습니다.

 

장로님께서 제가 이 설교를 한다고 하니까, ‘목사님은 왜 교인들이 자꾸 듣고 나갈 설교만 하냐고, 벌써 ‘성령론’ 하는 바람에, 반은 떨어져 나갔다고!’ 허허허 그래서 그 목사님들 사이에, 그런 이야기가 있어요. ‘죄(罪)에 대해서, 회개에 대해서, 이혼이나 결혼에 대해서, 성령론! 은사론! 여기에 대해서는 절대 설교하지 말아라! 3주만 설교하면 교인이 반으로 준다.’ 이런 불문율이, 목사님들 사이에서 왔다 갔다 합니다.

 

그러니까 다른 데서 이야기 안하니까, 저라도 이야기를 해야 되겠다는 생각에서, 제가 이 설교를 합니다. 물론 이 설교를 들으시면서, 마음에 불편한 분들이 계시겠지만, 성경이 어떻게 이야기하는 바를 우리가 알지 못하면, 우리는 우리의 인생을 경륜(經綸)해 나갈 수 없습니다. 그러니까 잘 들으시고 참고하시기 바랍니다.

 

최근 한 여론조사기관에 의하면, 한국 서울 강남의 주부의 75%가, 이혼(離婚)을 꿈꾼다는 그런 발표를 했습니다. ‘남편과 당장 이혼을 했으면 좋겠다.’라고 생각하는 사람이, 75%가 된다는 거예요. 그러니까 25% 이외에는, 75%가 이혼을 꿈꾸고 있다. 그리고 이 LA의 한 기독교신문에 난 기사를 인용하면, 기독교를 믿는 그리스도인 가정의 40%가, 이미 이혼을 했다고 합니다. 그러니까 지나가는 사람 두 명 중에 한명은, 인제 이혼을 했다는 거죠. 그리고 그 비율은 점점 늘어나고 있다고 그렇게 문제점을 지적을 했습니다.

 

한국의 장로교 신학교에서, 그 학교를 졸업한 목사님 1,000분을 대상으로, 설문조사를 했습니다. ‘만일 당신이 다시 결혼을 할 수 있다면, 지금 아내와 결혼을 하겠는가?’라는 질문에, 90%가 노(No)라고 대답을 했습니다. 10%가 예스(Yes) 오어(or) 기권! 그렇게 10%가 했는데, 어떤 사람은 시키지도 않았는데, 옆에다 괄호치고, ‘골볐냐?’ 이렇게 써놨더래요. (하하하) 그만큼 결혼이라는 것이 참 힘들고 어려운 것입니다.

 

그리고 일본에서는 우리 노년층 이혼이, 요즘 붐을 이루고 있다고 그러죠? 한평생 자식들 때문에, 또 체면 때문에, 꾹 ~ 참고 살다가, 이제 자식들 다 시집 장가 보내놓고, 마지막 가는 마당까지, ‘그렇게 손해 보면서 살 수는 없다.’라고 할머니들이 반란을 일으켰다는 것입니다. 그래서 헤드라인에 ‘할머니들의 반란!’ 이렇게 제목이 있는 것을 제가 보았습니다.

 

그러니까 지금 표면적으로 나타난 이혼을, 한 커플과 이혼을 꿈꾸는 사람들 이외에, 더 많은 사람들이 알려지지 않은, 나타나지 않은, 더 많은 사람들이, 이혼을 생각하고 있고, 그냥 억지로 살아내고 있는, 그러한 실정! 왜 그럴까? 과연 왜 그럴까?

 

한국에는 ‘가족오락관’이라는 오락 프로그램이 있습니다. 허참씨가 저를 아주 굉장히 옛날에 사랑해주셔서, 제가 아주 즐겨 봤는데, 지금까지 하는 모양이에요. 그 양반은 그 수십 년 동안, 거기에 스피드퀴즈라는 그런 코너가 있어요. 그 스피드퀴즈는 뭐냐면? 두 사람이 이렇게 딱 마주보고, 한 사람 뒤에서 이렇게 단어를 들고 서 있으면, 이 맞은편에 있는 사람이, 그 단어를 막 설명해 주는 거예요. 그러면은 이제 앞에 있는 사람이 맞추는 거죠.

 

금슬 좋다고 유명한 할머니 할아버지가, 그 가족오락관 스피드퀴즈에 참여를 했습니다. 그런데 그 뒤에 단어가 뭐였냐면, ‘천생연분’이었어요. 그래서 할아버지가 야 여태까지 이 할머니가 자기가 하는 일에 절대 반대하지 않았고, 자기를 아주 머슴처럼 섬겨줬기 때문에, 우리의 관계를 설명만 해주면, 이 할머니가 금방 맞출 수 있을 거라고 생각했어요. 그래서 그냥 거두절미하고, 다른 이야기 안하고, ‘당신과 나와의 관계’ 이렇게 그랬습니다. 그랬더니 그 할머니가, ‘웬수!’ 그랬습니다. 그래서 ‘아니, 정신 차리라고 네 자! 네 자! 당신과 나와의 관계!’ 그랬더니 ‘아! 평생 웬수?’ 그랬습니다.

 

어느 한 쪽에서는 굉장히 자기는 행복하게 그렇게 다 누리고 살고 있다고 생각하고 있었는데, 한쪽은 평생을 희생하면서 살아가는 것, 밖에서 보면, 그냥 행복한 것 같고, 작은 천국을 이루고 사는 것 같음에도 불구하고, 그 안에 들어가 보면, 내면은, 그렇게 불행한 결혼들이 많다는 거예요. 왜 결혼생활은 그렇게 힘들고 어려울까요?

 

생각을 해보십시오. 여러분! 부부라는 것은 가장 가까운 관계예요. 가장 가까움에도 불구하고, 가장 많이 싸우는 관계가 부부예요. 가장 가까우면서도 가장 많이 싸우는 거! 어떻게 보면 말이 안 되는 것 같은데, 잘 생각해 보시면요, ‘이 결혼이라는 것이, 우리가 알고 이해하고 있는, 이 가시적인 어떤 의미 말고, 다른 영적인 어떠한 의미가 있지는 않을까?’라고 한번, 생각을 해보시라는 말입니다. 그렇기 때문에 가장 가까우면서도, 그 안에 끊임없는 다툼이 있는 거란 말이죠. 그러니까 성경은, 결혼이라는 것을 어떻게 설명하고 있는가를, 우리가 살펴보면서, 왜 부부관계가 이렇게 어려워지고, 어려운 것인지에 대해서, 성경에서만, 한번 찾아보도록 하겠습니다.

 

오늘 본문은, 예수님께서, 예수님의 죽음과 부활을 설명해 놓으시고, 그리고 하나님나라를 계속 이야기하시는 도중에, 이 ‘이혼(離婚)’이라는 것을 이야기 하시고, 또 하나님나라를 계속 설명해 가고 계시다고요. 이 예수 그리스도가 지금 말씀하고 계신 것은, 이 결혼이라는 거, 이 이혼이라는 것은, 바로 하나님나라의 본질을 설명하기 위해서, 너희들에게 주어진 것이라는 것을, 말씀하고 싶으신 거예요.

 

지금 바리새인들! 이 유대인들은, 어떤 구절을 가지고, 지금 예수님을 올무에 걸려고 하는 거냐면, 신명기 24장의 이야기를 가지고 이야기하는 거예요. ‘모세는 이혼증서를 써주면, 분명히 이혼할 수 있다고 이야기했다. 그런데 당신이 생각하기에는, 어떻게 생각하느냐?’라고 이야기한다고요. 신명기 24장에 보면, 모세가 이렇게 율법을 이야기합니다. ‘만일 결혼해서, 아내가 수치스러운 일을 행했으면, 너는 이혼증서를 써주고, 이혼해도 된다.’라고 이야기한다고요. 그러니까 바리새인들이 그 이야기를 가지고, 예수님을 지금 거는 것입니다.

 

하지만, 이 신명기의 이야기를 여러분이 잘 읽어 보시면, 그 이야기는 이혼을 해도 좋다는, 허락을 하는 것이 아니라, 그때 당시의 남자들이, 엉터리 권력과, 엉터리 권세를 가지고, 막 이혼을 하던 그 사회에, 이 율법을 가지고 법적인 안전장치 하나를 더 걸어놓는 거예요. ‘그렇게 막 이혼하지 말고, 너희들 합법적으로, 절차를 따라서, 이혼증서를 써주고 이혼해라! 이혼을 하려면!’ 그렇게 이야기하는 거라고요.

 

그리고 이 모세는 지금, ‘몸이 더렵혀진 자는, 절대 받아들이지 말아라!’라고 이야기하거든요. 그러니까 몸이 더럽혀진 자는, 하나님나라에 들어올 수 없음을 설명하기 위한 게, 바로 이 신명기 이야기예요. 하나님나라에 대한 이야기예요. 신명기 24장 4절에 보면, 쭉 이혼에 대해 이야기하면서,

 

(신명기 24:4)

4 … 여호와께서 네게 기업으로 주시는 땅으로 너는 범죄케 하지 말지니라

 

 

그 간음한 자가, 그렇게 몸이 더렵혀진 자가 들어오는 게, 여호와가 너에게 주시는 땅, 바로 가나안! 하나님나라를 이야기하는 거라고요. 그렇게 죄지은 자! 나가서 간음한 자! 우상 섬기는 자를, 성경은 ‘간음한 자’라 그러잖아요? 그 자들은 하나님나라에 들어올 수 없음을, 이야기해주는 거예요. ‘너희들은 다 간음한 잔데, 다 이혼한 자들인데, 어떠한 방법? 예수 그리스도라는 방법이 없으면, 너희들은 절대 하나님나라에 들어갈 수 없다.’라는 것을 설명해 주기 위해서, 이 이야기를 하는 것이지, ‘이혼을 해도 좋다. 안해야 된다.’ 이 이야기에 초점이 있는 거는 아니라는 거예요. 

 

그런데도 불구하고, 이 바리새인들이, 어떠한 유익을 얻어내기 위해서, 예수님을 이렇게 거냐면, 당시에, 헤롯 안티파스는요, 아랍여인을 아내로 맞이하고 있었다고요. 왕비가 아랍여인이었었는데, 그 아랍여인과 이혼을 하고, 동생의 아내인 헤로디아를 뺏어다가, 강제로 결혼을 했다고요. 그것을 갖다가 지탄한 세례요한이, 목이 잘려졌잖아요? 

 

그래서 예수님이 지금 어떻게 대답을 하든, 예수님은 곤경에 빠지게 되어 있다고요. ‘이혼을 하면 안 된다.’ 그러면, 헤롯 안티파스에게 고발할 거 아니에요? 그러면 예수님도 세례요한처럼, 목이 잘려질 거야! 만약에 ‘이혼해도 된다.’ ‘야! 유대인의 스승이라는 자가, 이혼을 해도 된다고?’ 이걸 거는 거예요. 예수님을 곤경에 빠뜨리기 위한 거예요. 

 

그리고 두 번째는, 그 당시 유대인들에게는, 두 줄기의 지성이 있었는데, 힐렐과 샴마이 학파라고요. 힐렐은 이 샴마이의 제자였어요. 그런데도 불구하고, 좀 더 개방적인 사람이었다고요. 이 힐렐과 샴마이를, 철학의 칸트처럼, 두 지성을 집대성한 사람이, 가말리엘이에요. 사도행전에 나오는 제자들을 풀어주기 위해서 애썼던, 그 가말리엘! 가말리엘의 수제자가 사도바울이고요. 

 

이 두 사람들은 다른 견해를 갖고 있었어요. 결혼에 대해서! 그래서 이 힐렐학파는 이 수치스러운 일이 있으면, 이혼해도 된다는! 이 수치스러운 일에, ‘아내가 요리를 못하면, 수치스러운 일이다.’ 그래서 이혼할 수 있었어요. 그리고 아내가 이웃집 여자보다 못생겼으면, 이혼할 수 있었어요. 그리고 아내가 남편 앞에서 시댁 욕을 하면, 이혼할 수 있었어요. 그러니까 이 말도 안 되는 것들을 걸어서 이혼을 하게끔, 아주 자유롭게 이혼을 할 수 있게끔, 이야기한 것이 힐렐학파였고, 샴마이학파는 굉장히 보수적이었다고요. 

 

지금 이들이 함께 와서 예수님께 이 이야기를 하는 것은, 이 힐렐학파들은, 자기들이 지금 이 이혼에 대해서 갖고 있는 이 자유스러움에, 확인도장을 받고 싶었던 것이고, 샴마이학파는, ‘우리들은 이혼 안하고 있다’는 이 의(義)를, 자랑하고 싶었던 거예요. 그러니까 둘 다 어떻게 해서든지, 예수님을 곤경에 빠뜨리고, 자기들의 유익을 챙기는 그러한 의도로, 예수님께 지금 이 이야기를 하는 거예요. 그들이 이혼을 해도 좋으냐? 안 해도 좋으냐? 거기에는 관심 없었어요. 

 

그러니까 예수님이 뭐라고 대답하시느냐 하면, 하나님나라의 본질(本質)로 설명을 하신다고요. 예수님이, 바리새인들의 질문에, 창세기의 창조의 이야기를 가지고, 대답을 풀어 가십니다. ‘남자가 부모를 떠나 아내와 결합하여 한 몸을 이룬 것이므로, 절대 나누어서는 안 된다.’라고 이렇게 말씀하신다고요. 그러니까 언뜻 보면, 예수님께서 샴마이학파의 손을 들어주시는 것 같지만, 예수님은 근본적으로 다른 이야기를 하고 계시는 거예요. 

 

이 창세기를 보면, 하나님은 어떻게 말씀하십니까? ‘우리의 형상을 따라, 우리의 모양대로, 남자와 여자를 만든다.’ 우리의 모양과 형상을 따라 남자만 만든 게 아니고, 여자만 만든 게 아니고, 부부를 만들었다고요. 그러니까 ‘우리의 형상을 따라,’ 자기의 형상대로 만드셨다. 이렇게 복수이시면서, 단수로 표현을 하시잖아요? 창세기 1장 26절에! 그거처럼 하나님은 복수이시면서, 단수이시잖아요? 그 복수이시면서 단수이신, 그 하나님의 본질과 형상을 불어넣어서, 어떤 것을 만드셨는데, 그게 바로 남자와 여자! 부부라는 거예요. 

 

그러니까 부부라는 것은, 하나님의 본질! 하나님의 형상! 여럿이면서도 하나인 것! 그 하나님의 나라! 예수 그리스도를 머리로, 그 교회가 한 몸으로, 한 유기체로 만들어지는 것처럼, 그 하나님나라를 설명해 주기 위해서, 부부라는 것을, 성경은 우리에게 허락한 거예요. 

 

더욱 더 확실하게 결혼이란 무엇인가에 대해서 설명해 놓은 것이, 에베소서 5장이죠? 거기에서, ‘남편들아! 아내를 목숨 걸고 사랑해라! 아내들아! 남편에게 주께 하듯 복종하라!’ 이렇게 이야기하죠? 그 다음에 쭉 이야기 하신 다음에, 뭐라고 하십니까? ‘내가 교회와 예수 그리스도에 대해서 이야기한 것이다.’라고 이야기 한다고요. 이 부부에 관한 이야기를 쭉 하시면서, ‘이 부부의 이야기는, 비밀스러운 이야기인데, 그 비밀이 뭔 줄 아니? 바로 예수 그리스도와 교회가, 어떤 것인지를, 너희들에게 가르쳐주기 위해서, 허락하신 것이다!’라는 거예요. 

 

그러니까 부부의 목적(目的)! 성경이 말하는 부부의 목적은, ‘너희들끼리 그냥 외로움 달래면서, 행복하게 잘 먹고, 잘 살아라! 부귀영화 누리면서 잘 살아라!’가 아니라, ‘하나님나라가 어떤 것인가를 좀 알아먹어라!’라고, 그렇게, 우리에게 결혼이라는 것을 허락한 것입니다. 

 

그렇지만 아무리 그리스도인이라 할지라도, 죄의 육신을 입고 있기 때문에, 타락한 본성이 남아 있기 때문에, 언제나 성공적으로 그 결혼생활을, 하나님나라를, 이 땅에 나타내면서, 만들어 낼 수가 없다고요. 그리고 우리 인간들은, 아담으로부터 모두 죄에 빠져 버렸어요. 

 

그래서 우리는 날 때부터 죄인으로 났고요. 하나님의 형상으로 지음을 받고, 그분과 함께 동행을 해야 했던, 함께 하나로 살아가야 했던 자들이었는데, 하나님과 이혼한 자들이 되어 버렸다고요. 그 관계가 떨어져 버린 거예요. 우린 그렇게 하나님과 이혼을 당한 사람이 되어 버린 것입니다. 그렇기 때문에 우리는, 우리의 힘으로, 절대 가정을 하나님의 형상처럼, 끈끈한 사랑으로 만들어갈 수가 없어요. 

 

그렇기 때문에 우리는, 우리의 힘으로 절대, 가정을 하나님나라의 모양으로 만들어 갈 수가 없음을 깨닫고, 하나님의 은혜를 구하게 되는 것! 그것이 바로 결혼이에요. 그러니까 그렇게 하나님의 은혜를 구하고, 그 은혜를 경험하며, 변화되고 완성되어져 가는 그것이 바로, 결혼이라는 것입니다. 

 

그럼 우리가 싸우고 다투고, 또 불미스러운 일이 일어나고, 실패할 때마다, 우리 인간의 힘으로는 그 하나님의 하나 됨의 역사가, 이루이지지 않는다는 것을 절실히 깨닫고, ‘아! 나에게는 예수가 필요하구나!’라는 것을 알게 되는 은혜의 장! 그것이 바로 가정인 것입니다. ‘누군가의 도움이 없이는 절대, 나는 사랑할 수 없는 존재이고, 아! 나는 순종할 수 없는 존재이구나!’ 그것을 절실히 깨달아서, 예수 그리스도의 도움을 구하는 자리로 가는 것이, 바로 가정의 진의(眞意)인 것입니다. 

 

그러면 우리는 결혼을 통해서, 우리의 거룩을 만들어 가는 거예요. 우리의 행복을 만들어 가는 것이 아니라, 우리의 거룩을 만들어 가는 것! 기독교의, 우리 교회의 목적이, ‘우리의 행복’이 아니라, ‘우리의 거룩’이잖아요? 그런데 사람들이 우리의 행복만을 쫓아가다 보니까, 거룩은 다 놓치고, 다른 사람들에게 오히려, 욕만 먹고 지탄만 받는 교회가 되어 버리지 않았습니까? 

 

아니, 우리 교회는, 우리 교회의 본분은 ‘거룩’이에요. 우리가 거룩하게 만들어져 가는 길에서, 선교도 하고, 순교도 하고, 봉사도 하고 하는 것이지, 그걸 다 내려놓고, 그냥 하나님의 일만 열심히 하는 것은, 엉터리 열심이라고 사도바울도 이야기하지 않습니까? 

 

여러분! 그렇게 가정은, 자기가 만족한 결과를 만들어내지 못하면, 함부로 깨 버리는 것이 아니라, 상대방을 시금석으로 해서, 그 시금석이 뭡니까? 내가 금인지 은인지 깎아보는 게, 시금석 아니에요? 상대방을 시금석으로 해서, ‘아! 나는 이런 존재밖에 안 되는 거구나!’라는 것을 깨닫고 아는 것이, 바로 결혼인 것입니다. 그리고 내가 진짜인지 가짜인지 확인하면서, 점차 하나님의 요구하는 수준으로 자라가게 되는 것이 바로, 결혼이라고요. 

 

왜 그 결혼이 천국에는 없겠습니까? 예수님이 말씀하시잖아요? ‘천국에는 시집가고 장가가는 일이 없다.’라고 그래요. 그럼에도 불구하고, 이 땅에다가 만들어 놓으셨을 때는, 하나님이 뭔가 목적이 있으실 거 아니에요? 그게 바로, 그 결혼생활을 통해서, 예수를 알아가고, 우리의 실존이 어떠한 존재였는지를 깨닫고, 그 예수의 도움을 구하는, 그 은혜의 자리로 가게 만드는 것이 바로, ‘가정(家庭)’이라는 것입니다. 

 

요한웨슬리는요, 그의 아내가 세계 3대 악처중의 한 사람이었어요. 톨스토이의 아내! 소크라테스의 아내! 요한웨슬리의 아내! ‘세계 3대 악처’라 그러죠? 요한웨슬리가 막 전도하고 집회하고 돌아오면. ‘아! 여보 수고했어요.’ 이게 아니라, 머리끄댕이를 붙잡고요, 그 서재를 빙빙빙빙 데리고 돌고 다녔대요. ‘너나 잘하라!’라고. 아니, 어떻게 목사가 자기가 한 말대로 그렇게 다 살 수가 있어요? 그러면 저는 벌써 머리털 하나도 없이 다 빠졌게요. 

 

그런 아내를 보내면서 웨슬리가 뭐라 그랬는지 아십니까? ‘당신은 사도바울에게 가시를 선물하신 하나님이, 나에게 선물하신, 하나님의 선물이다!’라고 이야기했어요. ‘내가 자고(自高)할까봐 나에게 준 선물이다! 내가 너무 교만할까봐 나를 늘 밟는 하나님의 도구로 쓴 하나님의 선물이다!’라고 이야기를 했다고요. 그거예요. 그걸 깨달아야 되는 거예요. 여러분! 부부는요! 

 

예수님 당시의 남자들도, 결혼을 자신들의 필요를 채우고, 또 자신들의 짐을 대신 지고 가줄 사람을 얻는 것으로 생각했습니다. 상대방의 어떤 배경이나 재산! 외모! 이런 것을 이용해서, 나의 짐을 그 어께에다가 대신 좀 지고 가달라고, 해달라는 것을, 결혼으로 그렇게 알았다고요. 그러니까 제자들이 당장 뭐라 그럽니까? ‘예수님! 그런 게 결혼이면, 결혼 안 하는 게 낫겠습니다.’라고 이야기하잖아요? 10절에! 

 

10 제자들이 가로되 만일 사람이 아내에게 이같이 할진대 장가들지 않는 것이 좋삽나이다

 

맞아요. 그런 것만 원하신다면, 결혼 안 하는 게 백번 편해요. 내가 원하는 것을 상대방에게 얻어내려고 하는 결혼이라면, 결혼 안 하는 게 백번 편해요. 왜요? 우리는 죄인이기 때문에, 서로 그것을 요구하기 때문에, 늘 부딪히게 돼있어요. 그래서 그런 것을 원하면서, 여러분이 결혼을 한다면, 결혼 안 하는 게 백번 낫습니다. 끝까지 싸우게 될 거예요. 

 

오죽하면 사도바울도, 결혼 안하는 게, 독신(獨身)으로 사는 게 낫다고 이야기하지 않습니까? ‘내가 혼인하지 아니한 자들과, 과부들에게 이르노니, 나와 같이 그냥 지내는 것이 좋다. 만일 절제할 수 없거든 혼인하라. 정욕이 불 같이 타는 것보다 혼인하는 것이 나으니라.’ 그 이유 말고 혼인하지 않을 수 있으면, 그냥 혼인하지 말아라! 그만큼 결혼은 어려운 거예요. 책임과 의무가 따르기 때문에 어려운 거예요. 

 

그런데 그것을 너무나 쉽게들 생각하고 결혼을 하니까, 자꾸 삐꺾이는 거예요. 자꾸! 왜 아름다운, 하나님 만들어 놓으신 그 아름다운 결혼이, 이렇게 힘들어졌습니까? 바로 죄라는 것이 그렇게 만들어 놓은 거예요. 우리를! 

 

창세기에서 뭐라 그러죠? 하나님이 범죄 한, 선악과를 따먹은, 인간들에게 저주를 하십니다. 특히 여자에게 뭐라고 저주를 하시냐면, ‘여자에게 이르시되 내가 네게 잉태하는 고통을 크게 더하리니, 네가 수고하고 자식을 낳을 것이며, 너는 남편을 사모하고, 남편은 너를 다스릴 것이다.’라고 이야기 한다고요. 하나님이 분명히 남자보고, 여자를 다스리라 그랬어요. 그 명령은 유효해요. 

 

그런데 저주가 뭐냐면 여자가 남자를 사모할거라 그래요. ‘사모’라는 말은 ‘장악(掌握)하다’라는 말이거든요. 여자가 남자를 장악하고 싶어 한다고요. 남자는 여자를 다스려야 되는데, 여자가 남편을 장악하고 싶어 하니까, 이제 부딪히기 시작하는 거예요. 그게 하나님의 저주란 말이에요. 그러니까 성경과 복음을 제대로 깨닫지 못하면, 우리는 절대 행복한 가정을 이룰 수가 없어요. 끝없이 여자는, 남자를 장악하려고 할 것이고, 남자는 여자를 다스리려고 할 거라고요. 그래서 부부는 매일 싸울 수밖에 없는 거예요. 

 

저도 결혼 초창기에, TV 리모콘을 한 다섯 개는 날렸을 거예요. 아! 들고 있다가 던져서! 던질게 그것 밖에는 없더라고요. 금방 살 수 있으니까! 그래서 저는 항상, TV를 발로 켰다가 끄는, 발이 짧아서, 발이 저릴 때마다, 절대 리모콘 던지지 말아야지! 그러다가 그날 저녁에 또 던지고, 그게 바로 부부라고요. 복음을 알지 못하면, 끝까지 부딪히게 되어 있는 거예요. 

 

그럼 왜 모든 동화가, 왕자와 공주가 결혼하는 것으로 끝나는지 아십니까? 신데렐라와 백설공주! 심청이까지! 왜냐면 그 결혼한 이후까지 써 놓으면요. 애들한테 차마 읽히면 안 될 내용들이 너무나 많기 때문에, 그냥 결혼하는 걸로 끝나는 거예요. 아름답게! 아니 그 이후는, 어마어마한 게 숨어 있잖아요? 다들 알고 웃으시잖아요? 이렇게 결혼하신 분들은! 

 

복음을 알지 못하면, 절대 행복한 가정을 이루어 나갈 수가 없습니다. 우리는 결혼생활을 통해서요, 어떻게 살아내야 하냐면, 우리가 예수 그리스도와 연합하여, 구원을 받았잖아요? 예수 그리스도의 삶이 내 삶이 됬잖아요? 그 예수 그리스도는, 하나님께 자기의 목숨을 끊어가며 순종하셨다구요. 그 예수 그리스도는, 그 사랑하는 교회를 위해서, 여전히 자기에게 돌을 들고 찢고 있는, 그 원수 같은 교회를, 신부인 교회를 위해서, 자기의 목숨을 끊어주셨다구요. 

 

우리는 그 예수 그리스도와 연합해서, 구원을 받았다면서요? 그러면 우리는 우리의 삶에, 그 예수 그리스도의 삶이 나타나야 되잖아요? 그러니까 아내가, 아무리 원수 같은 일을 저질러도, 목숨을 끊어가며 살아가신 예수를 생각하시면서, 이겨내 보는 게 결혼이에요. 힘들죠? 알죠. 왜 그 힘들지 않겠습니까? 하지만 우리가 그리스도인이라고 한다면, 성경은 그 은혜를 점점점점 깊이 알아가면 알아갈수록, 그것이 되어져 간다고요. 

 

아내는요? 순종하는 거예요. 말도 안 되는 이야기로 나를 긁지만, 예수가 그렇게 목숨 걸어 순종한 그 순종을 본받아, 거기에 연합하여, 우리는 순종해 보는 거예요. 그것이 바로 가정을 두고 하나님이 우리에게 목적하신 목적이라고요. 실패하겠죠. 실패했을 땐 어떻게 해요? ‘아! 예수님은 어떻게 우리 같은 인간을 목숨을 끊어가며 사랑하셨을까? 아니, 예수님은 어떻게 우리 같은 인간을 위해서 하나님께 순종하셨을까?’ 그 예수의 사랑을 알아가는 거예요. 그 은혜를 알면 알수록, 우리는 너무나 감사해서 변화되어져 가는 것이, 바로 그리스도인의 결혼이고, 가정생활인 것입니다. 

 

여러분! 남자 여자가 싸우면, 남자가 이길 것 같아요? 여자가 이길 것 같아요? 여자가 이겨요! 여러분 남자는 흙으로 만들었고, 여자는 뼈로 만들었기 때문에, 부딪히면 항상 박살나는 건 남자예요. 그거 어떻게 한번 감춰보려고 무력 동원하는 거예요. 여자한테 이길 수 없어요. 그러니까 애시 당초 항복하고, 그냥 저처럼 이렇게 죽어서 사는 게, 가정의 평화를 위해서 좋아요. 

 

여러분! 우리는 인생을 통해서, 그 결혼을 통해서, 그 예수를 배우고, 은혜를 깨닫게 되고, 거룩을 향해 달려가며, 여럿이면서도 하나인, 그 하나님나라를 배워가는 것이 바로, 가정이며 결혼인 것입니다. 여러분! 이렇게 우리가 살아가면서, 계속 예수께로 가까이 가게 되는 그 가정이야 말로, 하나님이 기뻐하시는 가정이에요. 

 

결혼해서 뭐 재산이 더 많아졌고, 자식들이 시집 장가를 잘 가서 남들이 부러워하고, 그런 것들이 성경이 원하는 바람직한 가정이 아니라, 뭐 조금 못산다 할지라도, 서로서로 사랑하고 순종해 주면서, 하나님나라의 그 모습을 조금씩, 조금씩 만들어 가는 것! 그것이 바로 성경이 말하는, 하나님이 우리에게 요구하시는, 그런 가정인 것입니다. 

 

그러니까 복음을 알지 못하면, 성경을 알지 못하면, 진정한 결혼의 의미를 모르게 되고요. 그 진정한 결혼의 의미를 모르고 결혼생활을 하게 되면, 불행해지기 마련이에요. 아니, 어느 한쪽이 포기를 하고, 겉으로는 평화롭지만, 가슴속에 비수를 꽂고 절치부심! 와신상담하면서 나중에 애들 시집장가 다 가면 봐라! 이건 사랑 아니잖아요? 남들의 눈에 보여지는 것! 그런 것이 아니라, 그 부부가 하나님의 자녀로 만들어져 가는 것! 거룩한 자로 만들어져 가는 것! 그것이 바로 행복한 가정이라고요. 

 

이런 경우도 있어요. ‘저 원수 같은 남편 때문에, 내가 정말 지긋지긋해서, 이 땅을 빨리 떠나고 싶다. 하나님! 진짜 나 하나님나라 빨리 가고 싶습니다. 저 원수 때문에!’ 여러분! 그건 성공적으로 잘 가고 계신 거예요. 결혼의 목적은 바로 그거라고요. 하나님을 더 사모하게 하고, 하나님나라를 더 소망하게 하는 것이, 바로 하나님이 우리에게 이 가정을 허락하신 목적이란 말이에요. 

 

결혼에 대한 그 패러다임을, 여러분! 조금 바꾸셔야 돼요. 목적을 어디에 두고 사느냐? 그 김재동이라는 그 개그맨 있잖아요? 그 개그맨이 자기, 그 친구 부모님 이야기를 하는데, 그런 이야기를 하더라고요. 그 어머니가 다섯 살이 많으시대요. 나이가! 아버지가 다섯 살이 연하래요. 그 옛날에도! 

 

그런데 수십 년 간을 그 어머니가, 누나도 한참 누나죠? 그때는! 그 아버님이 그냥 그 나이가 드셨는데도, 밥투정하고, 반찬투정하고, 밥상을 다 뒤집어엎고 막 그런대요. 그런데도 그거 다 주섬주섬 담아서 걸레질 다하고, 원하는 반찬 해다가 다시 상 갖다 바치고 막 그러신다는 거예요. 

 

그래서 이 김재동이가 가서 물어봤대요. ‘어머니! 도대체 얼마나 저 아버님을 사랑하시길래 그렇게 저 아버지가 저렇게 투정하고 그러는데도, 말도 안 되는 화를 내고 하는데도, 그래 섬기십니까?’ 그랬더니, 그 엄마가 그러더래요. ‘사랑은 무슨 사랑이냐? 쟤 어려서, 그렇게 안 해주면, 삐져!’ 수십 년 동안 삐질까봐 그냥 달래준 거래요. 마음속으로는 그랬겠죠. ‘아휴! 저 어린자식 저거 언제 철드나?’ 그게 사랑이에요. 그게! 가정이라는 건, 우리의 눈에 보이는 그런 가시적인 그런 거 말고, 더 깊고 더 큰 그 의미가 있다는 것입니다. 

 

여러분! 행복한 결혼생활을 원하십니까? 그러면 예수를 아셔야 돼요. 복음을 아셔야 돼요. 열심히 그 예수를 공부하십시오. 그리고 상대방의 배경 같은 거, 여러분! 보는 거 아니에요. 그리스도인들은 여러분 결혼할 때 그런 거 많이 보죠? 외모! 부모들의 재산! 학력! 뭐 이런 거 때문에 결혼을 했다가, 그것이 이제 우수수 어느 날 없어지는 날! 그 사람에 대한 매력이라고 생각했던 그런 것들이 없어지는 날! 그 배경이 없어지는 날! 우리는 단호하게 그와 헤어질 수 있다니깐요. 

 

우리 선배 중에 그 황신혜와 결혼했다가, 6개월 있다가 이혼한 분이 한, 유명한 명언(名言)이 있잖아요? ‘결혼하고 3개월 되니까, 황신혜나 공옥진이나 그게 그거더라!’ 그거 아무것도 아니에요. 돈 있다가 없어지면요, 그 남편이 정말 우습게 보여요. 명예요? 저와 함께 저 서울대학에서 의대에서 수석을 하던, 우리 성주라는 친구가 있어요. 뭐 고등학교 때부터 줄곧 전교 일등만 했죠. 그 쫓아가느라고 제가 힘들었어요. 아주! 

 

그런데 어느 날 이 친구가 교통사고가 나서 식물인간이 됐는데, 인제 겨우 말만 더듬더듬 하는 거예요. 아내가 떠나가더라고요! 여러분이 정말 결혼을 잘하고 싶으면요, 3개월 있다 그런 배경은 우수수 땅에 떨어져요. 이제 알몸만 딱 뜨게 되는데, 그 때에 ‘참, 내가 결혼 잘했다!’ 하면, 결혼을 잘 한 거예요. 

 

여러분! 자식들 결혼시킬 때도, 정말 자식들이 행복하길 원하면, 그런 배경이 아니라, 이 사람의 신앙이 정말 바른가를, 먼저 보셔야 되는 거예요. 그래야만 우리는 성경이 이야기하는, 그러한 행복한, 성경이 이야기하는 행복한, 그러한 결혼을 할 수 있는 것입니다. 

 

펄벅의 ‘대지(大地)’라는 소설을 보면, 거기에 ‘왕룽’이라는 주인공이 나오잖아요? 그 왕룽이 그 ‘오란’이라는 그 아내와 함께, 정말 행복하게, 가난하지만 행복하게 잘 산다고요. 그 오란이라는 여자가 일을 워낙 잘해서, 노예집안에 와서! 손이 이만하대요. 그래서 쟁기질을 한번 하면, 남자보다도 일을 더 잘한다는 거예요. 그 빨래를 하는데 뭐 이건 세탁기보다 더 좋은 거예요. 

 

그런데 이 왕룽이 가난 때문에 피난을 갔다가, 어떻게 부자 집을 털어서 부자가 돼요. 그 다음에 이 아내를 딱 보니까, 손이 솥뚜껑만한 게 너무 보기 싫은 거예요. 그러니까 소설에 나오죠. 그 손이 너무너무 보기가 싫어! 뭘 하느냐? 손이 예쁘고 얼굴이 예쁜 기생을 사와요. ‘렌화’라는 여자를! 그거예요. 

 

여러분! 돈이라는 것이 가정의 행복을 가져다주지 않아요. 뭐 남편의 명예가, 자식들이 좋은 대학 가는 게, 가정의 행복을 가져다주지 않아요. 가정은, 신앙으로만, 예수 그리스도로만, 바로 설 수 있어요. 여러분! 가정이라는 건, 정말 진실한 두 사람이, 그 신앙으로, 이 땅의 것이 없이도, 하늘나라를 경험하며 살아갈 수 있느냐를, 함께 고민하며, 노력하며, 살아내는 것! 그것을 우리가 결혼이라고 하는 것입니다. 

 

자기가 원하는 조건을 갖춘, 손만 예쁘고 얼굴만 예쁜 그런 첩을 가서 사오는 것이 아니라, 자기를 두고, 아이들을 두고 나가서 창녀 질을 했던 그 고멜을 쫒아가서, 은 30냥을 주고 사와서, 용서하면서 살아가는 게, 하늘나라이고, 복음이며, 가정인 것입니다. 그렇기 때문에 우리에게는 늘 희생이 필요한 거예요. 아내에게도 필요하고, 남편에게도, 희생이 필요하다고요. 

 

우리는 다 하나님과 이혼한 자들이에요. 우리는 다 창녀 고멜 같은 자들이었다고요. 그럼에도 불구하고, 예수 그리스도로 말미암아, 하나님과 이제 영원히 헤어질 수 없는 혼인을 한 자들이 된 것! 그것을 깨달아 가는 것이, 가정의 참 의미라고요. 

 

여러분! 하나님께서 여자를 탄생시키실 때, 어떻게 하셨습니까? 아담을 잠재우고, 옆구리를 뚫어서 갈비뼈를 꺼내셨다고요. 그리고 여자를 만드셨어요. 성경에서 잠든다는 것은, 뭘 메타포(metaphor) 한다 그랬죠? 죽음이에요! 예수님이 십자가에서 죽으셔서, 옆구리에서 물과 피를 다 흘려 내시고, 그래야만, 희생이 있어야만, 만들어 지는 것이 교회 아니에요? 

 

그게 바로 가정이라니까요. 남자와 여자가 묶이는 게! 서로에게 그러한 희생이 있지 않으면, 하나님이 원하는 그 가정이 되지 않는다는 거예요. 서로 그렇게 자기 이익만 추구하고, ‘쟤는 내 짐을 덜어줘야 되는데…. 왜 오히려 나에게 더 짐을 지워주는 걸까?’ 이것만 가지고 싸우다 보면, 끝까지 싸울 수밖에 없는 것이죠. 

 

그래 여러분! 이혼하신 분들에게, 여러분들이 절대 여러분들의 손가락을 펴서, 뭐라 할 수 없는 분들이라는 것을, 꼭 알아주십시오. 왜냐면 우리는 모두가 하나님과 이혼한 자들이에요. 아시겠습니까? 우리는 모두가 그 창녀 고멜보다도 더 더러운 인간들이라고요. 우리는 다 이혼한 자들이에요. 그것을 알아먹으라는 거예요. 너희들이 결혼생활을 통해서, 우리는 그런 존재라는 것만 알면, 그러면 된 거예요. 

 

이혼하신 분들도 마찬가지죠? 주눅들 필요 없어요. 여러분이 이제 하나님만 바로 알고 있고, 예수 그리스도만 바로 알고 계시다면, 하나님은 그걸 위해서 여러분들의 그 아픔을 허락하신 거라고요. ‘그걸 아느냐? 그걸 깨닫고 있느냐? 그걸 이해하느냐?’가 중요한 것이지, ‘내가 이혼을 실행에 옮겼느냐? 아니냐?’ 이건 중요한 게 아니란 말이에요. 

 

이혼을 실행에 옮기지 않고도, 평생 복수의 칼을 갈면서 사는 건, 더 나쁜 거예요. 그거는! ‘그것을 실행에 옮겼느냐, 아니냐’가 중요한 게 아니라, 여러분은 그 일들을 통해서, 여러분이 누구인지를 아시냐? 말이에요? 그리고 나에게는, ‘나는 이런 존재이기 때문에, 어떠한 도움이 필요하다’라는 것을 여러분이 깨달으셨냐 말이에요? 그것을 알아야 되는 거예요. 우리는! 결혼은 바로 그런 것입니다. 

 

마지막으로, 제가 고린도전서 7장 10절에서 16절까지를, 여러분께 읽어드리고, 오늘 설교를 마치도록 하겠습니다. 

 

(고린도전서 7:10-16) 

10 혼인한 자들에게 내가 명하노니 … 여자는 남편에게서 갈리지 말고

11 (만일 갈릴지라도 그냥 지내든지 다시 그 남편과 화합하든지 하라) 남편도 아내를 버리지 말라

12 그 남은 사람들에게 내가 말하노니 … 만일 어떤 형제에게 믿지 아니하는 아내가 있어 남편과 함께 살기를 좋아하거든 저를 버리지 말며

13 어떤 여자에게 믿지 아니하는 남편이 있어 아내와 함께 살기를 좋아하거든 그 남편을 버리지 말라

14 믿지 아니하는 남편이 아내로 인하여 거룩하게 되고 믿지 아니하는 아내가 남편으로 인하여 거룩하게 되나니 그렇지 아니하면 너희 자녀도 깨끗지 못하니라 그러나 이제 거룩하니라

15 혹 믿지 아니하는 자가 갈리거든 갈리게 하라 (이혼하려면, 하라는 거예요.) 형제나 자매나 이런 일에 구속 받을 것이 없느니라 그러나 하나님은 화평 중에서 너희를 부르셨느니라

16 아내된 자여 네가 남편을 구원할는지 어찌 알 수 있으며 남편된 자여 네가 네 아내를 구원할는지 어찌 알 수 있으리요

 

그리스도인은 다른 문제! 성격차이! 경제문제! 그런 것으로 절대 이혼할 수 없고, 이혼해서는 안 되는 것입니다. 그러나 신앙의 문제! 믿지 않는 자가, 믿지 않는 자 때문에, 내 신앙이, 하나님께 가까이 가고자 하는 내 신앙이 흔들릴 땐, ‘이혼하라!’라고 이야기 한다고요. 

 

그런데 하나님은 여운을 하나 남겨주시는데, 뭐라 그럽니까? ‘혹 그래도 혹 네가 그 사람이 구원을 받는데 필요해서, 그 자리에 가 있는 건지 어떻게 아느냐?’ 그렇게 하나님은 우리에게 여운을 남겨 주신다고요. 여러분! 부부생활 힘듭니다. 어렵죠? 하루에도 12번씩 깨고 싶은 게, 복음을 알지 못하는 죄인들의 마음이라고요. 

 

그렇지만 우리 복음을 아는 우리는, 상대방을 바라보는 것이 아니라, 그 안에 있는 예수 그리스도를 보는 것입니다. ‘어떻게 예수는, 우리 같은 인간을 사랑하셨을까? 어떻게 예수 그리스도는, 우리 같은 인간을 위해서, 목숨을 끊으시며 순종하셨을까?’ 그 예수 그리스도의 은혜에 감사하면서, 한 발, 한 발 변해가면서, 우리는 비로소 이 땅에서, 지상의 천국이라고 하는, 그러한 가정을, 이루어나갈 수 있는 것입니다.