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(ヨハネの黙示録) 88 - 最後の戦い、そして小さな戦い 본문

講解説教/ヨハネの黙示録

(ヨハネの黙示録) 88 - 最後の戦い、そして小さな戦い

cocoa 2026. 3. 9. 12:58


88 - 最後の戦い、そして小さな戦い (黙示録19:17-20:3)

 

ヨハネの黙示録19章17節から20章3節までの御言葉です。

共に朗読いたします。

 

 

(ヨハネの黙示録 19:17-20:3)

17 また、見ると、一人の御使いが太陽の上に立って、空を飛ぶすべての鳥に向かって、大きな声で叫んで言った。「さあ、神の大きな宴に集まって、

18 王たちの肉と、将軍たちの肉と、戦士たちの肉と、馬とその騎手たちの肉と、自由な者も奴隷も、大小を問わず、すべての者の肉を食べよ」と言う。

19 また、見ると、その獣と地の王たちとその軍勢が、その騎手とその軍勢とを伴って戦いを起こしたが、

20 獣は捕らえられ、その前でしるしを行っていた偽預言者も共に捕らえられた。この偽預言者は、獣の刻印を受け、その像を拝む者たちを、しるしをもって惑わしていた者である。この二人は、生きたまま硫黄の燃える池に投げ込まれた。

21 残りの者は、馬に乗った者の口から出る剣によって殺され、すべての鳥がその肉を飽きるほど食べた。

 

20:1 また、わたしが見ると、御使が底知れぬ穴の鍵と大きな鎖を手に持って天から下って来て

2 竜を捕らえた。それは、古の蛇、悪魔、サタンである。彼を捕らえて千年の間縛り

3 底知れぬ穴に投げ込み、その上に封印して、千年が満ちるまで、再び諸国民を惑わすことができないようにした。その後、必ずしばらくの間、解き放たれるであろう。

 

難しい本文ですが、よく聞いてください。難しくもありません。

私たちは先週、様々な千年王国説について学びました。

そして私たちが下した結論は、前千年説!後千年説!無千年説!このように様々な千年王国説がありますが、そのような終末論に関心を持つよりも、私たちは今日、「私たちがこの世を離れて、私たちの終末の中に落ちることがあるという覚悟で、今日を準備しながら生きよう!」と結論づけました。

 

 

しかし、私たちの教会は聖書解釈の一貫性を保つために、無千年説を支持し、またヨハネの黙示録19章後半と20章前半を、無千年説に基づいて解釈していくと私が申し上げました。先週の説教が放送されると、世代主義的千年前説を支持する方々から、多くの電話を受けました。同意できないという内容が、今や大半でした。そして当教会のウェブサイト信仰相談欄には、今もそうした質問が次々と寄せられています。

 

 

しかし、どうしましょう?私は今日の本文を解釈しながら、また世代主義を徹底的に批判せざるを得ません。正確に聖書のみを根拠に説明しますので、それでも納得できないなら、放送を聞いてまた電話するのではなく、そのまま信じてお過ごしください。(ハハハ)

 

先週学んだ内容を少し振り返ってみると、無千年説はイエス・キリストの初臨の時、すでに神の民が生まれ、それによって神の国がこの地に侵入してきたものであり、その神の国の人々はイエス・キリストと共に、私たちの主が再び来られるその日まで、この地で天の王としての役割を果たすのだと、私が説明しました。

 

しかし、その天の王としての務めとは、他ならぬ自分を空しくし、自分を低くして、神と他の人々に益となるような生き方であるため、私たちの汚れた肉体では、容易にそこに至ることができないと、お話ししましたね? ですから神様は、懲らしめと苦難を用いて、私たちが天の王としての務めをよく果たせるように、整えておられる期間も、まさにその期間だとおっしゃいました。

 

だから世代主義者たちが言う千年王国と、7年の大患難の期間は同一の期間であり、まさに今私たちが生きているこの時間が、その期間であることを学びました。詩篇のいくつかの節を見ながら、もう少し詳しく説明してみましょう。

詩篇2章7節を見てください。

 

(詩篇2:7-8)

7 わたしは霊を伝える。主がわたしに言われた。『あなたはわたしの子。今日、わたしはあなたを生んだ。』

(わたしが霊を伝えるとは、命令を伝えるという意味です。

この意味です。『わたしはあなたを生んだ。』と神が言われるのです。)

8 わたしに求めよ。わたしは諸国をあなたの嗣業とし、地の果てまであなたの所有とする。

 

ここでイエス・キリストの王権が宣言されています。

神の御霊(命令)によって!この節は今、神がイエスに下す命令ですが、神はイエスに対して「今日、わたしがあなたを生んだ」という表現を使われています。神がイエス・キリストを生んだその時こそ、イエスが諸国の王として即位される日だという意味です。

 

今この節を、 この一節を用いて、エホバの証人たちが「イエスは後に造られた、創造された被造物だ!被造物だ!」と主張します。違います。イエスは創世以前から神である父と共に存在しておられた神です。イエス・キリストは、創世以前から神である父の長子であり、その長子が、最初の創造のすべてのものの頭となられ、万物を治めてこられたのです。そうでしょう?

 

しかし人間の堕落によって、新たな創造が必要となりました。最初の創造ではない、新たな創造が必要となったのです。それが新たな被造物である皆さんなのです。そして皆さんが住むその新しい天と新しい地!それが今や新たな創造なのです。今私たちは古い被造物の中に生きていますが!

 

イエス様は再びその新しい創造に関わらなければなりませんでした。長子として!神様が今や永遠に堕落することのない新しい創造をなさるのに、その新しい創造もイエス様を通してなさることにされたのです。イエス様は喜んでその新しい創造の働きを引き受けられ、その新しい創造を行う方法として十字架を負われたのです。そうして新しい創造は、霊的に完成されたのです。まだ目に見える形で実現してはいませんが!

 

ですから、イエス様が新たな創造を、その新たな創造を霊的に完成された、イエス様のその復活の時を、神様は「今日、わたしがあなたを生んだ」と表現されたのです。創造の時もイエスは長子でしたが、今や新たな創造の時も、イエスが長子としての役割を果たさなければならないのです。ですから神が「今日、わたしはお前を産んだ」と表現されたのは、存在論的な観点から見るべきではなく、職能的・機能的な観点から見なければならないのです。

 

聖書には、「イエスの御名が高められた、あるいはその方が完全になられた」という節がありますよね?イエスの御名が高められるべき方ですか?もともと高き方です。イエスは神ですから!イエスは完全でない方ですか?完全な方です。

」という箇所がありますよね?イエスの御名が高められるべき方ですか?もともと高い方です。イエスは神ですから!イエスが完全でない方ですか?完全な方です。では、これはどういう意味でしょうか?イエスの御名が高められた!イエスが完全になられた!そうです、そのような贖いの歴史の中で、そのような職能的・機能的な観点から解釈すべきなのです。

 

ああ、イエス様がこのように、神の契約を完成させ、成就させ、完全にそのすべてを成し遂げられたのだ!その意味で、その方が完全になられたのだ。

その業を成し遂げられたことによって、神の御名を高くされたのだ。

このように語っているのです。イエス・キリストの十字架の死と復活によって、霊的に新しい創造は完成したのです。そしてこの詩篇2篇の節によれば、まさにその時、神がイエスに諸国民を相続として与え、「あなたの所有は地の果てまで及ぶであろう!」という御命令を下されたのです。

 

ですから、その神の国は、イエス・キリストの初臨の時にもう成し遂げられたということになるのです。その時すでに神の王国は始まったのです。

ですから、これから何年か後に、千年王国が来るのか?私は7年の大患難を経験するのか?それとも、その前に携挙されるのか?こうしたことに心を奪われないでください。

 

今日の本文もまた、イエス・キリストの初臨を千年王国の始まりとして語っています。どこで?今からお見せしましょう。今日の本文20章2節と3節を見ると、竜!悪魔!サタンが、千年王国が始まるその時点で、底知れぬ穴に縛られる。

底知れぬ穴に投げ込まれ、底知れぬ穴で縛られるという内容が出ていますよね?

 

よく考えてみてください。つまり、悪魔が縛られるまさにその時に、千年王国が始まるという話ですよね?その箇所はそうですよね?この部分は以前にも私が何度も説明しました。サタンはイエス・キリストの十字架によって今や完全に武装解除された状態だと、私が何度も説明しましたよね?ディスアームド(disarmed)!え?ヘブル書!コロサイ書!そういうもの!私が引用して説明しましたよね?

 

その言葉は、サタンが今や、神の民を讒訴(さそ)する根拠を失ってしまったという意味だと説明しました。サタンは私たちの罪を指摘して、神の前に何度も密告し、「あいつを早く殺してください!あいつを裁いてください!」と言わなければならないのですが、今やイエス様が十字架ですべて解決してくださったので、私たちをもう讒訴できません。引きずり出すことができないのです。私たちが罪を犯し続けても!

 

皆さん!罪を犯し続けていますよね?それにもかかわらず、サタンは私たちを訴え立てることができません。サタンの仕事はそれなのに!そういう意味で、「縛られた。

彼は底知れぬ穴に投げ込まれた。

」と言うのです。私たちを今や罪に定めることができないからです!黙示録20章2節を見てください。

 

(ヨハネの黙示録 20:2-3)

2 竜を捕らえた。それは、古の蛇、悪魔、サタンである。彼を捕らえて千年の間縛り、

3 無底の穴に投げ込み、その上に鍵をかけ、封印して、千年が満ちるまで、再び諸国を惑わすことができないようにした。その後、必ずしばらくの間、解き放たれる (そうなのです。)

 

ここでも見てください、そのサタンを縛ったり解いたりしているのは、誰ですか?神様です。ただ解いたり縛ったり。

神様の御心に従って行われるのです。神様がどのような目的を達成されるために、神様の適切な時に、彼を縛ったり、解いたり、そういうことです。ですから、サタンと神様が今戦っているのではなく、神様は今サタンを利用して、神の国を完成させているのです。

 

その2節にある「縛る、エデセン」というこの言葉と全く同じ言葉が、マタイによる福音書12章に出てきます。12章29節を見ると、

 

(マタイによる福音書 12:29)

29 人はまず強い者を縛らなければ、どうしてその強い者の家に入って、その持ち物を略奪できようか。縛ってからでなければ、その家を略奪することはできない。

 

今、イエス様はサタンを縛った。

そう言っているのです。この箇所は、イエス様がちょうど悪霊を追い出しておられたので、ユダヤ人たちが「彼は悪魔の力を借りて悪霊を追い出している」

」とイエス様を中傷したのです。その時イエス様が言われた言葉です。

 

この言葉は、イエス様がサタンを縛り、そのサタンの家財である悪霊につかれた者たち!言い換えれば、罪人たちを略奪しに来られた方であることを示しているのです。そしてそれをあらかじめ象徴的に、しるしとして示されたのが、病人を癒し、悪霊を追い出された御業なのです。まさにあなたがたがサタンの家財だったからです。あのサタンの家の家財であったあなたがたを、神がイエスを遣わして、そのサタンを縛り、あなたがたを救い出されたのです。奪い取られたのです。

 

ですから、イエスの初臨の時、サタンは縛られたのです。つまり、このマタイによる福音書12章の縛りと、今日の本文である20章!黙示録20章2節の縛りと、全く同じ言葉なのです。つまり神の国は、イエスがこの地に来られたことで、黙示の中で完成されたのであり、サタンはそのように、イエスの初臨の時、縛られたのだということです。

 

今日の本文を見ると、千年王国の始まり時に、サタンが縛られたと明確に出ていますよね?つまり千年王国はいつから始まったのでしょうか?イエスの初臨の時、始まったのです。ルカによる福音書10章17節を見てください。

 

(ルカによる福音書 10:17-18)

17 七十人が喜んで帰って来て言った、「主よ、あなたの御名によって、悪霊たちも私たちに従いました」。

18 イエスは言われた、「私は、サタンが天から稲妻のように落ちるのをみた」

 

ここでもお分かりのように、イエスの弟子七十人が伝道旅行を終えて戻ってきた時、主はそのことを指して、『私はサタンが天から稲妻のように落ちるのをみた。

」と語られました。つまり、教会の救いと、言い換えれば、神の国がそのように拡大し、サタンが縛られ、追い出されることは、非常に密接に関連しているということです。

 

いつ教会は救われたのですか?イエスの初臨の時です!つまりその時縛られて追い出されたのです。ヨハネの福音書12章31節。このように多くの証拠を提示しても、ごまかそうとするなら私にはどうしようもありません。31節。

 

(ヨハネによる福音書 12:31)

31 今、この世の裁きが来た。この世の支配者は追い出される。

 

これはイエス様が言われた言葉です。ギリシャ人たちがイエス様を訪ねて来た時、イエスは『今、人の子が栄光を受ける時が来た!』と、十字架を予言されたのです。そして、『今、この世の裁きが来た。この世の支配者は追い出されるのだ!』と語られたのです。『十字架によって彼らは追い出されるのだ!』と語られたのです。これ以上に確かな証拠をどう示せばよいでしょうか?

 

ここで使われている「追い出される、エックバロ」というこの言葉は、今日の本文の「底知れぬ穴に投げ込む」の「バロ」と同じ語根です。そして同じ意味の単語だと言うのです。イエス様が十字架によって「彼を追い出すだろう!」 」と語られたあの「エックバロ」が、今日、あのサタンが千年王国の始まりに「底知れぬ穴に投げ込まれる」で使われた「バロ」という単語と全く同じ言葉だということです。

ですから、イエスの初臨の時、あのサタンが縛られ、底知れぬ穴に投げ込まれたのは正しいですか?間違っていますか?正しいのです。このように反応がないから…。

 

サタンが底知れぬ穴に閉じ込められているその千年王国は、このように既にイエス・キリストの初臨の時、始まっているのです。では、ヨハネの黙示録の所々にある、サタンが聖徒たちと戦って勝つという話や、地の王たちを惑わして軍隊を集めるというその言葉は、どういう意味でしょうか?サタンは明らかに閉じ込められていると言いながら!

 

確かに聖書は、サタンは徹底的に敗北し、縛られて無力な存在になってしまったと記している一方で、黙示録12章7節から12節まで、また17章8節から11節!マタイによる福音書12章25節から30節!ルカによる福音書11章14節から26節!コロサイ人への手紙2章15節!ヘブライ人への手紙2章14節を参照してください。私が以前すべてお調べしたものですので、ただお読みいただき、次に進みます。

 

しかし別の側面では、「サタンが聖徒たちと戦い、勝利している」

と黙示録13章7節に記されていますよね?勝利している、あらゆる民族と民と言語と国を支配する権威を持っていると、書かれているのです。矛盾のように見えますか?私たちはこのような矛盾のように見える問題について、サタンの二重的な側面を覚えていなければならないのです。

 

繰り返し申し上げた通り、このようなサタンの攻撃は、私たち聖徒たちの救いを、究極的には妨げられません。そうですね?そして神の国が完成することを決して阻止できません。サタンの攻撃は!そのような面において、サタンは縛られているのです。

 

しかし神はサタンに、聖徒たちを攻撃することを許される。

そうでしたね?私がエペソ書で何時間もかけて説明したように、なぜなら、そのようなサタンの暴れは、むしろ神の国の人々の聖さに役立つからです。私が全身の鎧を学ぶ際にもそう説明し、その前にも何度も説明しましたよね?

 

さて、サタンは、先ほども見たように、神の民のために、今まさに用いられているのです。ある時点では閉じ込められ、ある時点では解放され、このように神が、サタンを思う存分使いながら、神の民と、神の国完成のみに関心を置き、今何かを進行させているのです。

 

そういう意味で、サタンが猛攻撃しているにもかかわらず、サタンが縛られていると言うのです。

これは非常に重要なことです。皆さん!士師記3章1節をご覧ください。

 

(士師記 3:1-4)

1 主は (誰が?主が) カナンの戦争を知らないイスラエルを試そうとされ、

2 イスラエルの子孫の世代のうち、まだ戦争を知らない者にそれを教え知らせようとして (目的が出てきますね?) 残しておかれた諸国は (敵を残しておいたのです。誰が?神が!何をするために?イスラエルに何を教えようとして、神が敵を残されたというのです。その敵は誰ですか?)

3 ペリシテの五人の首長と、カナン全土の人々と、シドン人、そしてバアル・ヘルモン山からハマテの入口までレバノンの山に住むヒビ人である。(たくさん残されましたね?イスラエルの敵です。これ!でも誰が残したって言うの?神が!イスラエルに何を教え知らせようとするために、神が残されたって言うんだよ。4節。)

4 残されたこれらの国々によってイスラエルを試み…

 

繰り返し出てくるでしょ?だから敵はなぜいるの?今、神と戦っているんですか? いいえ、神が残しておかれたんです。今! あなた方のために、神の国が完成するために! 残しておかれたんです。

 

では、20章3節の「悪魔が千年後に少しの間解き放たれる」という言葉は、どういう意味でしょう? 今、悪魔の攻撃はどんどん強まっています。激しく見えないように見えても、悪魔は今、見えないところで私たちをさらに殺しているのです。この文明と文化!科学が発達したために、私たちの霊は絶えず死にかけています。忙しすぎます。慌ただしくなりました。良いものが多すぎて、霊的に聖書を読む時間、祈る時間が次第に減っていますか?増えていますか?減っています。

 

皆さんは以前、子供の頃と最近と、聖書を読む時間がどちらが長かったですか?結局あの時も今も読んでいないのですか?(ハハハハ)科学が発達し、文明が発達し、お金ができると、聖書を読んで祈る時間が次第に減っていきます。サタンはそうやって非常に巧妙に、私たちを惑わし、誘惑するのです。私たちを殺しているのです。今、私たちをますます激しく攻撃しているのです。この攻撃はますます激しくなり、最後には頂点に達するでしょう。それが一時的に解かれるという意味なのです。

 

 

さて、20章1節から3節までは解決されました。その視点を持って、19章のあの最後の終末戦争を解き明かしてみましょう。そうすれば非常に簡単です。19章17節から21節までには、二つの幻が登場しています。17節は「私が見たところ」という言葉で始まりますよね?そして19節は「また私が見たところ」と始まるのです。つまり二つの幻という意味です。「私が見たところ」と言えば、常に幻が出てきましたよね?

 

ご覧になればお分かりでしょうが、17節と18節、そして19節から21節までの内容は、同じ出来事を繰り返し説明しているのです。黙示録19章17節をご覧ください。

 

(ヨハネの黙示録 19:17-21)

17 また、わたしが見ると、一人の御使いが太陽の上に立って、空を飛ぶすべての鳥に向かって、大きな声で叫んで言った。「来て、神の大きな宴に集まれ。 (これらの言葉をよく覚えておいてください。)

18 王たちの肉と、将軍たちの肉と、武人たちの肉と、馬たちと、それに乗る者たちの肉と、自由な者も奴隷も、大小を問わず、すべての者の肉を食べよ。」

 

一人の天使が空中のすべての鳥たちに、大きな声で叫びます。『王たちの肉と、将軍たちの肉と、武人たちの肉と、馬たちと、それに乗る者たちの肉と、自由な者も奴隷も、大小を問わず、すべての者の肉を食べよ!』そして鳥が肉を食べる場面で終わります。こうして一つの場面が終わるのです。

 

そして19節から、「また、わたしが見ると」とありますが、全く同じ内容が出てきます。鳥がまた肉を食べます。ご覧ください。19章19節。

 

19 また、わたしが見ると、その獣と地の王たちとその軍勢が、その騎手とその軍勢とともに戦いを起こして集まったが、

20 獣は捕らえられ、その前でしるしを行っていた偽預言者も共に捕らえられた。これは、獣の刻印を受け、その像を拝んでいた者たちを、しるしによって惑わしていた者である。この二人は、生きたまま硫黄の燃える火の池に投げ込まれた。

21 残りの者は、馬に乗る者の口から出る剣によって殺され、すべての鳥がその肉で満腹した。

 

ところで、17節と18節、19節と21節では、鳥たちが食べる肉が違いますよね?肉だけが違うのです。しかし内容は全く同じだということです。この二つの幻は同じ幻なのですが、17節と18節では、サタンとその獣たちに従う者たちの滅亡に焦点を当てて描かれています。そして19節から21節までの内容は、彼らを唆していた獣と偽預言者!それも獣ですよね?この獣たちの滅亡に焦点を当てて描かれているのです。

 

つまり同じ出来事なのに、ここではサタンに従っていた者たち!ここでは獣たち!彼らが滅びる様子を「私が見た、私が見た」と言いながら、このようにこのように見て、記録しているのです。

 

 

そしてここをよく見ると、獣たちだけでなく、残りの者たちも皆死にました。そうでしょう?21節を見ると、残りの者たちも皆死に、すべての鳥が食い尽くしました。すでに!ええ、残りの者たちまでもが完全に滅ぼされたのです。万国がすべて滅ぼされたのです。

 

ところが20章に行くと、また戦争が出てきます。ゴグとマゴグの戦争!そして19章では、万国がすべて滅び、残りの者までも皆死んだのに、20章3節では、万国がまだ残っています。3節を見てみましょうか?

 

(ヨハネの黙示録 20:3)

3 底知れぬ穴に投げ込み、その上に封印して、千年が満ちるまで、再び諸国を惑わすことのないようにした。…

 

全部なくなったのに、何でまた諸国を惑わすんですか?今全部食い尽くしたのに!だから時間順に解釈すると、こういうのが解けないんですよ。こういうのを適当に流してしまうんです。それとも、 無理やりこれを無理やりつなぎ合わせることになるんです。

 

しかし私が聖書でずっと解き明かしていくつもりですが、皆さんがこれを『ああ!この終わりの時代に起こる、そしてこの宇宙の終末に起こる、そのような戦争を繰り返し、私たちに警戒の目的で示しているのだ!』と理解すれば、とても簡単に解けるんです。

 

総合してみると、今日の本文19章後半のあの戦争は、ヨハネの黙示録全体を通して繰り返し記述されていた、まさにあの戦争が、また繰り返し記録されているのです。世代主義者たちの主張のように、決して歴史的な順序ではないというわけです。私がもう少し確実に確認させておきます。

 

この19章17節以降の戦争は、エゼキエル書38章と39章をそのまま引用したものです。以前にも一度、私たちが探してみましたが、今日はもう一度見てみましょう。ヨハネの黙示録20章のゴルグとマゴクの戦争が出てきます。19章のあの戦争ではなく、またゴルグとマゴクの戦争に出てくるのですが、それがどのようにエゼキエル書38章39章に全て書かれているか、よく見てください。黙示録20章7節を見てください。

 

(ヨハネの黙示録 20:7-9)

7 千年が満ちると、サタンはその牢から解き放たれ

8 出て行って、地の四方の民、すなわちゴグとマゴグを惑わし、集めて戦いを起こす。その数は海の砂のようだ。

9 彼らは地の上に広がり、聖徒たちの陣営と愛する都を包囲する。すると天から火が降りてきて、彼らを焼き尽くす。 (そういうことです。)

 

その戦争は、エゼキエル書38章に。すでに預言されています。よく見てください。ゴグとマゴグの戦争がここに記されています。エゼキエル書38章にどう書かれているか見てください。エゼキエル書38章2節を見てください。

 

(エゼキエル 38:2-3, 22-23)

2 人よ、あなたはマゴグの地にいるゴグ、すなわちロスとメシェクとドバルの王に向かって顔を向け、彼を打つために預言せよ。

3 こう言え。『主なる神の言葉。ロスとメシェクとドバルの王、ゴグよ。わたしはあなたに対抗して立つ。

22 わたしは疫病と血で彼を裁き、降り注ぐ豪雨と大きな雹と火と硫黄で (全部ヨハネの黙示録に出てくる言葉ですよね?) 彼とそのすべての軍勢、彼と共にいる多くの民の上に、雨のように降らせよう。

23 このように、わたしは諸国の目の前で、わたしの威光とわたしの聖さを現し、わたしを知らせる。彼らはわたしが主であることを知るであろう。 (エゼキエル書39章6節参照)

 

(エゼキエル39:6)

6 また、マゴグと島々に安らかに住む者たちに火を降らせよう。彼らはわたしが主であることを知るであろう。

 

ヨハネの黙示録20章のあのマゴグの戦いと単語までもが全く同じです。39章17節に行くと、あのマゴグの戦いに、今日の本文19章のあの鳥たちが登場します。つまりこれは同じことを語っているのです。今、ヨハネはエゼキエル書を引用して、19章、20章、いや、その前でも同じ戦争を繰り返し描いているのです。見てみましょうか?エゼキエル書39章17節をご覧ください。

 

(エゼキエル 39:17-20)

17 人よ、主なる神はこう言われる。あらゆる鳥と野のあらゆる獣に告げよ。『集まれ。わたしはあなたがたのために、イスラエルの山々で用意した大いなる宴を催す。四方から集まって来て、肉を食べ、血を飲め』(今日の本文19章17節以下と単語まで全く同じですね?宴!鳥!そのまま全部出ていますよね?)

18 あなたがたは勇士の肉を食べ、世の王たちの血を飲む。それはバシャンの肥えた獣、すなわち雄羊、子羊、山羊、雄牛の子を食べるがごとくである。

19 わたしがあなたがたのために備えた宴の脂を、あなたがたは満ちるまで食べ、その血を飲み干す。

20 わたしの食卓から、馬と騎兵と勇士とすべての軍勢を、あなたがたは飽きるまで食べるであろう。と主なる神の言葉はこう言われる。

 

ですから、私たちが学んでいる今日の本文は、エゼキエル書のあのクグとマグの戦争をそのまま移したもので、むしろ39章の内容を19章に、そして38章の内容を20章に、このように逆さまに移して記録しているのです。

 

したがって、19章17節以下を歴史的な順序で解釈することは、旧約聖書の言葉とこのヨハネの黙示録の文学的構成を、全く無視した解釈となります。

ですからエゼキエル書を完全に無視してしまえば、百歩譲って、世代主義者たちのように解釈することは可能です。しかしエゼキエル書を知っている私は、そのように解釈できないのです。

 

 

ですから、黙示録19章17節以下に出てくるあの戦争と、黙示録20章7節以下に出てくるゴグとマゴグの戦争は、同じ戦争を異なる視点から示している場面です。19章では、獣に従っていた者たちと、18節までですよね?19節以降は獣たち、そして20章ではサタンの滅亡!このように、あの連中の滅亡!悪の勢力たちの滅亡をこのように分けて、今別々に説明しているというわけです。わかりますか?これを読んで来られた方は、すぐに理解されるでしょうが、全く読まずに、何も考えずに来られた方は、全く「今これが何の話なのか?」と思われるでしょうが…。ご自身で判断してください。ご自身で判断してください。私は知りません。もう!

 

ところでこの戦争は、16章にも既に登場した戦争です。黙示録16章12節をご覧ください。

 

(ヨハネの黙示録 16:12-16)

12 また、第六の御使いはその鉢を、大河ユーフラテスに注いだ。すると、川の水は干上がり、東から来る王たちの道が備えられた。

13 また、私が見ると、蛙のような三つの汚れた霊が、竜の口と獣の口と偽預言者の口から出て来た。

14 これらは悪霊の霊であって、しるしを行い、全世界の王たちのところに行き、全能者である神の大きな日のために、彼らを戦いに集めた。

15 見よ、わたしは盗人のように来る。目を覚まして、自分の衣を守り、裸で歩まず、自分の恥を見せない者は幸いである。

16 三つの霊は、ヘブライ語でハルマゲドンと呼ばれる場所に、王たちを召集した。

 

この戦いは、イエスがまさに来られる直前に起こる、最後の戦いである。ハルマゲドンの戦いですね?このハルマゲドンの戦いは、竜!あのサタンの口と、獣の口と、偽預言者の口から、三つの汚れた霊が出てきて、世の王たちを集め、主の大いなる日!すなわちこの最後の日、裁きの日に行われる戦いを語っているのです。しかし今、歴史の中でその戦いは延長され、今も続いていると私が説明しましたね?

 

ところが14節では、その「戦争、ホレモン」という言葉の前に、「トン」という定冠詞が付いています。トン・ホレモン!つまりその戦争という意味です。ですからその戦争は、先ほど一度話したということですね。ヨハネが!つまりトン・ホレモン!その戦争だと言っているのです。「このハルマゲドンの戦いは、私が先に話したまさにあの戦いだ!」と語っているのです。

 

イエス様が福音書で、人の子がそこにいる、あの人の子(the son of man)!と言っていますよね?その人の子がこう語ると言います。ダニエル書7章のその人の子の話をしているんですよね?そうでしょう?だから定冠詞「トン」が付くと、常に前に話したことがあるという意味なんです。

 

ではこのハルマゲドン戦争はいつ話されたのでしょうか?15章を見てください。1節。

 

(ヨハネの黙示録 15:1)

1 また、天に大きくて驚くべき別のしるしを見た。七人の御使いが七つの災いを持っていた。それは最後の災いであって、神の怒りはこれで終わるのである。

 

よく見てください、今これが鉢の災いなのですが、神の怒りが今終わるのです。神の怒りが終わったら、今戦争があるでしょうか?ありませんか?ありません!つまり、鉢の災いが終わりなのです。この話がまさにこの最後の災いである鉢の災いの話です。この話が、ハルマゲドンの戦いであり、今日私たちが読んだゴグとマゴグの戦いであり、19章以降のあの戦いなのです。それがどう終わるか見てください。鉢の災いが!16章19節。

 

(ヨハネの黙示録 16:19-21)

19 大きい都は三つに裂け、諸国の都も倒れた。大きい都バビロンは、神の御前に覚えておられ、その激しい怒りのぶどう酒の杯を受け、 (今、バビロンの滅亡でこのように整理しています。大鉢の災いを!)

20 島々は消え去り、山々は跡形もなく消えた。 (さっきエゼキエル書で、神がマゴグとどこに火を降らせたと言いましたか?島々に!そう、島々に火を降らせたと言いましたよね?ここでも島々は消え去り、山々は跡形もなく消えた.)

 

21 また、一タラントもの大きさの雹が天から人々に降って来たので、人々は雹の災いのために神を冒涜した。(人間たちはそれでも、最後の審判の座の前でさえ悔い改めなかったというのです。罪がそれほど恐ろしいということです。)その災いは非常に大きかった。

 

やはりエゼキエル書のハルマゲドンの戦いで使われた言葉が、そのままこの戦いに全て使われています。しかしこの部分は、悪の勢力を総称するバビロンが滅びる部分であり、最後の杯の災いの部分なのです。つまりハルマゲドンの戦いは、まさにこの戦いを意味するのです。だからハルマゲドン戦争の前に、「トン」という定冠詞が付いているのです。トン・ポレモン!

 

そしてそのバビロンの滅亡という大杯の災いを、17章と18章で繰り返し説明していましたよね?17章と18章は何でしたか?淫婦バビロンの滅亡に関する記録でしたよね?すっかり忘れてしまったんですか?だから牧師は食べていけるんです。忘れてもどうってことない!また話してやればいいだけさ!(ハハハ)17章と18章には淫婦バビロンの滅亡が繰り返し説明されているじゃないですか?そうでしょう?

 

そして17章と18章のその内容!それを19章に入って、また繰り返し説明しているんです。19章19節を見てください。

 

(ヨハネの黙示録 19:19)

19 また、わたしが見ると、その獣と地の王たちとその軍勢とが、集まって、馬に乗る者と彼の軍勢とと戦いを起こした。

 

この戦いを20章7節以降で、ゴグとマゴグの戦いとして再び見せるのです。何の根拠で?20章8節を見てください。

 

(ヨハネの黙示録 20:8)

8 出て来て、地の四方にある民、すなわちゴグとマゴグを惑わし、彼らを集めて戦いを起こす。 (これは「戦い」という言葉です。フォレモン!全く同じ言葉です。) その数は海の砂のようだ。

 

この前に全く同じ「トン」という定冠詞が付いているのです。それはどういう意味ですか?「私が前に言ったあの戦争!」という意味です。どこで話したでしょう?19章!16章、17章、18章で繰り返し登場したあの戦争!それがまさにこのゴグとマゴグの戦争であり、ハルマゲドンの戦いであり、バビロンの滅亡なのです。これが繰り返し記録されているのです。

皆さん!

 

これまで私が様々な箇所を挙げて説明してきましたが、全て忘れてしまっても構いません。全て忘れてしまっても構いません。一つ覚えておいていただきたいのは、ただ「あの戦争たちは全て同じことを説明しているのだな!」と理解しておいてください。分かりましたか?

 

重要なのはこれです!確かに戦争は実際に起きており、実際に起きており、実際に起きるということです。必ず裁きは訪れるということです。そしてその裁きは今も起きているということです。私たちが七つの災いで見てきたでしょう?それは今も起きているということです。

 

 

私たちはすでに前に全て学んだ部分ですが、その全ての終わりの時の戦争は、最後に一度だけ起きて終わる戦争ではなく、神の子らが存在する、その歴史の全ての現場で、絶え間なく繰り返されている戦争だというのです。なぜ神はその戦争を、それほど歴史の中で、絶え間なく繰り返しておられるのか?それは私たちがすでに知っています。私が少し後でまた説明しますが!

 

確かに最終的には最後の決戦の日が来るでしょうが、私たちはその戦争の延長線上において、絶え間なく小さな戦争を戦っているのです。では、その戦争の内容は何でしょうか?皆さん!その戦争の発端は何でしたか?

 

神に仕えていた天使が、神に不従順し、その秩序を壊してしまったのです。自らの力で自らの人生を責任を持つと名乗り出たことから始まったのが、まさに戦争(戰爭)というものです。それが罪の発端(發端)ですよね? そして地へ追放されたサタンが、やはり、エデンの園に築かれた、 支配とその従順の秩序を、善悪の知識の木によって築かれた支配とその従順の秩序を、打ち破ることで、その戦争が持続し続けられたのです。進行されたのです。

 

私たちが繰り広げている戦争こそが、まさにその戦争なのです。

つまり、神様と悪魔との戦争というのは、神様に不従順で、自らの力を蓄え、神様とは無関係に自らを責任持とうとする側と、それを決して黙認(もくにん)できないという神様との戦争なのです。平たく言えば、「私は、私の力で、私のためだけに生きる」と言い張る者たちと、「お前たちは神に依存して生きるべき存在なのだ!」とおっしゃる神様との、その戦争こそが、まさに霊的戦争の実体なのです。

神様は、ご自身の民に対して、神様が究極的に望んでおられることは何で、神様が嫌われることは何なのかを説明し、説得させて、神の国で永遠のその和睦(わぼく)の関係を維持して生きたいと願われ、今、悪魔を動員してそれを説明しておられるのです。ですから、神様は今でも悪魔を火の池に投げ込む能力をお持ちであるにもかかわらず、そのままにしておられるのです。それを通じて、神様が何を嫌われ、どのようなものを裁かれるのかを、神様が私たちに今、経験させてくださっているのです。

神様は今、神様の前で、神様を依存せずに自分の力を依存する者たちを、武装解除させる戦争をしておられるのです。その戦争の中に、皆さんは入っているのです。だから、神様が皆さんを今、しきりに武装解除させておられるのです。なぜか? 新しい天と新しい地へ連れて行って住まわせるために!

そのように、悪魔と、悪魔の支配を受けている罪人たちが追求することは、一言で言えば「自己価値の向上」です。そうでしょう? 「私」! 私なのです。この宇宙の中心に自分を置くこと! 自己価値の向上! それが聖書の言う罪です。神様はそれに向かって剣を抜かれるのです。そして結局、すべての被造物をその足元にひざまずかせられます。しかし重要なのは、そのような悪魔的な志向が、救いを受けた神の民の中にも依然として残っているということが、問題なのです。

ですから神様は、その神の民の中に残っているその悪魔的な本能を、一つ一つ打ち砕く戦争を、聖徒の人生の中で起こしておられるのです。そして結局は、聖徒の中に残っているその汚らわしいものをすべて全滅させ、今日の御言葉にあるように、そのすべての汚らわしいものを鳥に突きばませ、聖徒たちを純金のように鍛え上げられるのです。ですから、その鳥に餌を与えるために、皆さんの中に入っているその悪魔的な本能! 汚染! 腐敗性! こうしたもの! 今、まさに引き剥がしておられるのです。信仰生活を通じて!

「私にはそんなものありません」なんて、ふざけないでください。みんなあります。それは錯覚なのです! 「私にはないのに、なぜこんなに苦しくさせるのですか?」と。ふざけないでくださいと言っているのです。その人こそが、神様から今、統治を受けている神の民なのです。それがですよ! 「私はイエスを信じているのに、なぜこんなに楽なのでしょう」。さようなら、お引き取りください(笑)。そんな人は、イエスを信じている人ではありません。絶対にあり得ないことです。私たちは生まれた時から罪人なのに、どうしてイエスを信じて平安でいられますか?

神様は私たちを攻め立てて、それをそれこそ刺身を引くように削ぎ落としてしまわれます。私たちの中にべったりとこびりついている、自分の肉としてくっついているその罪悪を、べったりとついているその罪悪を、削ぎ落としてしまわれるのです。それなのに痛くないですって? その人はイエスを信じている人ではないのです。

私たちがヨハネの黙示録を通じて読み解かなければならないのが、まさにそれなのです。神様はこの人間の歴史の中で、絶えずその戦争に勝利し続けておられ、結局は完全な勝利を収められるということを、私たちは学ばなければなりません。だから、皆さんの人生は苦しいのです。神様が勝っておられるから! 鳥に今、引きちぎっては餌として与えておられるから! 自分の自我がどんどん解体されていっているから、辛いのです。しかし、それが福(ふく)なのです。

それを知っているから、この辛さの中で私たちは喜ぶのです。世間の人々が見れば、「あいつらは狂っているな! あの状況でどうして喜べるんだ?」と言いますが、私たちは嬉しいのです。それを知っているから! 私のこの汚らわしいものを、神様が今、鳥にどんどん餌として与えておられるからです。引き剥がしておられるからです。「ダメだ! これを残しておけばもっと膿む! ダメだ! 全部引き剥がさなければならない! 全部引き剥がさなければならない!」

私たち聖徒の人生の中で、私たちが神様以外に力として頼っていたものが、どんどん自分から切り取られていくこと、それが信仰生活なのです。皆さん! 夫と二人の息子、豊かな財産を持ってモアブへ行った、あのナオミを考えてみてください。カナンの地を去る時は豊かだったと言ったでしょう? 自ら語っているではありませんか。そのナオミを、神様はどうされましたか? すべてを剥ぎ取って、完全に一文無しにして送り出されました。夫! 二人の息子! みんな死なせてしまい、財産もすべて失い、物乞いになって帰ってきました。「神様だけを見上げなさい!」と。

カナンへと連れ戻されたのです。「いや、私はモアブに行って、自分のやり方であの豊作の地でよく食べてよく暮らしたいんです。なぜこんなことをするんですか?」と言って行ったのに、神様はただ放っておかれたのではなく、丸裸にして再びカナンへと連れて来られたのです。それがキリスト者の人生なのです。それが神様の勝利なのです。世の中は絶えず力で私たちを誘惑し、神様は絶えずその力を抜いてしまわれるのです。

さきほどのハルマゲドンの戦いで、あの汚れた三つの霊が何で世の人々を惑わすと言いましたか? どのように世の人々を集めたか。しるし(奇跡)によって集めたと言うではありませんか? 銀の歯を金の歯に変えてやり、病人を治したりしながら、「しるしによって集めた」と言うでしょう? 出てくるではありませんか、正確に! なのに、なぜそこへ行っているのですか? なぜそこへ行くのですか? 力を追い求めているのです。しるしを追いかけるというのは、この時代、礼拝堂にいるあの偽物のクリスチャンたちが、力を追いかけ回しているのです。今、そのサタンの誘惑にどっぷりと浸かっているのです。いいえ、神様は力を抜いてしまわれるのです。

皆さん! イエスを信じるということを、バラ色の幻想で期待してはいけません。十字架は単に罪を許す方法ではなく、十字架は人間の罪を攻め立ててくるブルドーザーのようなものです。ですから、人間が十字架の前に立つようになると、その福音というブルドーザーの前に、私たちは毎日毎日踏みつぶされて、のしイカ(スルメの干物)になるのです。福音は、私たちをブルドーザーのように押し込んで、その中にある純金だけを残し、残りはスルメのように全部押し流してしまうのです。それが福音です。

福音とは、イエスを信じて、よく食べてよく暮らし、病気が治ることではなく、自分の中に創造された新しい生命だけが残り、残りはスルメのようにバサッと押し流されることです。それが死ぬ日まで続くのです。それが信者の人生です。皆さんが今、のしイカになっていなければ、皆さんは信者ではないのです。

その福音は、そのイエスは、私たちを突き抜けて入ってきて、その罪を今、えぐり出しているため、この霊と魂と骨髄と身をすべて引き裂いているため、このブルドーザーが押し寄せてくれば、私たちはのしイカになるのです。「えっ? これは何だ?」これまで私が義(ぎ)だと思っていたもの、これまで私が「自分は結構まともな人間だ」と思っていたもの、これがすべて白日の下にさらけ出されてしまいます。だから、のしイカになるのです。「ええっ! 私は大丈夫だと思っていたのに、イエスを信じてからもっと罪を犯している気がする!」 御言葉が入ってくると、そうなってしまうのです。削ぎ落とされてしまうのです。

皆さん! マタイの福音書を見ると、イエス様がお生まれになってすぐに、あの平穏だった土地に、大虐殺が起こりますよね? イエス様が来るやいなや、あの尊敬されていた、道徳的に、倫理的に、あんなに尊敬されて生きていた、善良なパリサイ人たちが、まるで人間の皮を被ったゾンビのように、皮を脱ぎ捨てて、イエス様を殺そうと飛びかかります。イエス様が行く先々で、罪が次々と暴かれるのです。偽装していた罪が、次々と露呈するのです。御言葉がこの地に訪れると、罪がただもう、さらけ出されてしまうのです。

神様が手術をしなければならないのに、この患部を「先生、ここが痛いんです!」と差し出してこそ、神様が治してくださるわけでしょう? ところが、彼らは全員、自分を偽装しているのです。自分は大丈夫なふりをして! だから、神様がその患部をあばき出されるのです。「お前、ここも病んでいるじゃないか? ここも病んでいるだろう?」とあばき出されるのです。耐えられませんよね? それを神様が切り取っていかれるのです。自分の肉のようにくっついているその罪を! 皆さんの人生に、そのことが起きているのです。

「ああ、私は大丈夫だと思っていたのに、イエスを信じた後、もっと罪をたくさん犯している気がする!」 それは、もっと罪をたくさん犯しているのではなく、御言葉によって自分が今、どんどん暴かれているのです。そして神様が私に見せてくださるのです。「これが本来のお前だ! そして、これこそが切り捨てなければならないものだ。わかったか?」と言いながら、えぐり出されるのです。だから痛いのです。

あのマタイの福音書に二種類の人間が登場しますよね? 一方は? 自分の力を、自分の王座を守るために、幼子まで殺すこともいとわない、あのヘロデのような類の人間と、幼子が生まれたことによって、エジプトへ、ナザレへと、ズルズルズルズル引きずられて歩くヨセフとマリアという、類の人間が登場するのです。神様は自分の力を頼りにし、自分の座を守るために、他人の世の人々を踏みつけ、いや、殺してしまっていた私たちのもとに訪れて、あの幼子にズルズルズルズル引きずられ、従順にさせられる神の民を作り上げられるのです。それがインマヌエル! イエスがこの地に来られた真の意味なのです。それがクリスマスです。

それなのに、皆さんがそのクリスマスを「諸人こぞりて、主は来ませり!」と言いながら、そんなふうに賛美できますか? 嬉しいですか? これが重要なのです。御言葉が来れば、イエスが来れば、十字架が皆さんの前にピタッと立てば、皆さんはただ、そこに押しつぶされて、のしイカになり続けるのです。ですから、神様の御言葉が落ちる場所に苦痛があります。痛みがあるのです。

皆さんは私の説教を毎週聞きながら、「あの人はなぜ毎週、私とあんなに戦おうとするのか? なぜ私ばかりにイチャモンをつけるんだ? 毎週毎週!」というふうに聞かなければなりません。なぜか? 御言葉は皆さんを攻め立てるからです。皆さんを慰め、励ますのではなく、皆さんの、イエスは皆さんを攻め立てて入り込み、罪を断ち切ってしまうからです。ですから、皆さんは私が憎らしくならなければならないのです。

ガラテヤ4章を見ると、使徒パウロが言っていますよね? ガラテヤの教会員たちに、「お前たち、最初は私に対してイエスや天使のように接してくれたじゃないか。お前たち、最初に私が福音を伝えた時、お前たちの目でも抜き取ってくれようとしたじゃないか」そうでしょう? 「それなのに、なぜ今、私は同じ福音を伝え続けているのに、なぜ今、私を敵扱いするのか?」と言うのです。最初はしばらくの間、「わあ! 聞いたこともない話をしてくれる。うちの牧師さんは勉強をたくさんしたんだな。本当に頭がいい!」そう言ってよく聞きます。

ところが、毎週来るけれど、毎週自分を刃物でブスブスと刺す! 1年が過ぎ、2年が過ぎ、3年が近づいているのに、毎週刺す! 「あの怨敵は今、私だけを憎んでいるんじゃないか?」 こうならなければならないのです。なぜか? その御言葉! イエス! 十字架は、皆さんを攻め立てて入っていくブルドーザーだからです。皆さんはその前で、どんどんのしイカにならなければならないのです。そして自分を解体させてしまうのです。「私はこんな存在だったのか!」 それが信仰生活なのです。そこにどうして、現世利益や神秘、アルファ・コース、そんなものが入る隙があるというのですか?

皆さん、どうかイエスを信じるということが何なのか、よく見極めて信じてください。その御言葉は、皆さんを攻め立ててきます。その御言葉の前に立つ時、皆さんは痛くなければなりません。しかし、その痛みは、「ああ、この痛みを通れば、神様があの新天新地をくださるんだ!」という希望を伴う痛みですから、喜びの中の痛みとなるのです。

ヨハネの福音書12章48節を見ると、終わりの時に、何が世を裁くと言っていますか? 「私の語った言葉が、世を裁くであろう」と言うでしょう? その通りです。なぜイエス様がこの地に来られて、「私は剣を与えに来た」とおっしゃるのか、わかりますか? それは、嫌がらせをするためではありません。御言葉は、イエスは、十字架は「剣」なのです。皆さんをえぐり出してしまう剣! ですから、今日の本文にも、イエス様の口から出るその御言葉の剣が、サタンを、獣を、殺してしまう。裁く。そのように語られているのです。

ところが、私たちの中にそのサタン的な本能があるわけです。だから、御言葉の前に立つようになると、それを神様が今から裁いていかれるわけです。えぐり出されるのです。なぜか? あの最後の審判の座に立たせないために! 今、この地でえぐり出してしまわれるのです。ですから私は毎週、御言葉を持って皆さんに因縁をつけるのです。皆さんが私の説教を聞いて痛くもなく、皆さんが私の説教を聞いて「ああ、私の存在はこんな存在だったのか」と失望もしないのであれば、私は説教を間違っていることになります。ですから、生半可な前千年王国説だの後千年だの無千年だの、そんなことに心を砕かず、そんなことで物知り顔をしようとせず、信仰生活をしてください。信仰生活を!

聖書はこのように繰り返して、また重層的、かつ漸進的な方法で、私たち聖徒に起こったことと、私たち聖徒が当然生き抜くべきことと、終局にこの世界がどのように終わるのかについて説明し、指摘し、警告することによって、私たちを養育し、私たちを成熟へと導き、私たちの聖化を完成させていっているのです。ですから、他のことに関心を向けずに、今日も自分を殺して他者を生かす、あの十字架へと導いておられるイエス様へと、皆さんの歩みを進めなければなりません。

ある方々が、「うちの教会は御言葉はいいけれど、愛がない!」と、そんなふうにおっしゃる方がおられます。愛とは何ですか? 相手が地獄に行こうがどうなろうが、その人たちが聞きたい話をしてやり、その人たちをあやして喜ばせて、その人たちから人気を得ることが愛ですか? 本当の愛とは何ですか? 天国がどのような場所かを知っているからこそ、叩いてでも連れて行くのが愛であって、機嫌を取ってやることが愛だというのですか? どこでそんな言葉を軽々しく口にされるのですか? なぜ愛がないと言うのですか、私たちが? 何が愛だというのですか? 相変わらずそこにも「私」がいるのです。私! 「なぜ私を愛してくれないの?」 それを打ち砕けと言っているのです。それを打ち砕いて差し上げることが、愛して差し上げることなのです。おわかりですか? 私は皆さんを心から愛しています。どれほど愛しているか、毎週経験されていますよね? そのような愛を持って生きてください。お祈りいたします。

 


 

 (88) - 최후의 전쟁, 그리고 작은 전쟁들 (계19:17-20:3)​

 

 

요한계시록 19장 17절부터 20장 3절까지의 말씀입니다. 함께 봉독하시겠습니다. 

 

(요한계시록 19:17-20:3) 

17 또 내가 보니 한 천사가 해에 서서 공중에 나는 모든 새를 향하여 큰 음성으로 외쳐 가로되 와서 하나님의 큰 잔치에 모여 

18 왕들의 고기와 장군들의 고기와 장사들의 고기와 말들과 그 탄 자들의 고기와 자유한 자들이나 종들이나 무론대소하고 모든 자의 고기를 먹으라 하더라 

19 또 내가 보매 그 짐승과 땅의 임금들과 그 군대들이 모여 그 말 탄 자와 그의 군대로 더불어 전쟁을 일으키다가 

20 짐승이 잡히고 그 앞에서 이적을 행하던 거짓 선지자도 함께 잡혔으니 이는 짐승의 표를 받고 그의 우상에게 경배하던 자들을 이적으로 미혹하던 자라 이 둘이 산채로 유황불 붙는 못에 던지우고 

21 그 나머지는 말 탄 자의 입으로 나오는 검에 죽으매 모든 새가 그 고기로 배불리우더라

 

20:1 또 내가 보매 천사가 무저갱 열쇠와 큰 쇠사슬을 그 손에 가지고 하늘로서 내려와서 

2 용을 잡으니 곧 옛 뱀이요 마귀요 사단이라 잡아 일천 년 동안 결박하여 

3 무저갱에 던져 잠그고 그 위에 인봉하여 천년이 차도록 다시는 만국을 미혹하지 못하게 하였다가 그 후에는 반드시 잠깐 놓이리라 아멘 

 

쉽지 않은 본문이지만 잘 들어보세요. 어렵지도 않습니다. 우리는 지난주에 여러 가지 천년왕국설에 관해서 공부를 했습니다. 그리고 우리가 내린 결론이, 전천년설! 후천년설! 무천년설! 이렇게 여러 가지 천년왕국설이 있지만, 그러한 종말론에 관심을 갖기보다, 우리는 오늘, ‘우리가 이 세상을 떠나서, 우리의 종말 속으로 떨어질 수 있다는 각오로, 오늘을 준비하며 살자!’라고 결론을 맺었습니다. 

 

그러나 우리 교회는 성경 해석의 일관성을 유지하기 위해서, 무천년설을 지지하며, 또 요한계시록 19장 후반부와, 20장 초반부를, 무천년설에 근거하여, 해석할 것이라고 제가 말씀드렸어요. 지난주에 설교가 방송이 나가고, 세대주의적 전천년설을 지지하는 분들로부터, 많이 전화를 받았어요. 동의할 수 없다는 내용이, 이제 태반이었어요. 그리고 저희 교회 웹싸이트 신앙상담란에, 계속해서 지금 그런 질문들이 올라오고 있습니다. 

 

그런데 어떡하죠? 저는 오늘 본문을 해석하면서, 또 세대주의를 난도질할 수밖에 없어요. 정확하게 성경만을 근거로 설명해드릴 테니까, 그래도 수긍이 안 가면, 방송 듣고 또 전화하고 그러지 말고, 그냥 그렇게 믿다가들 가십시오. (하하하)

 

지난주에 공부하신 내용을 잠깐 다시 떠올려 보면, 무천년설은 예수 그리스도의 초림 때, 이미 하나님의 백성들이 생겨나게 되었고, 그로 말미암아 하나님나라가 이 땅에 침노해 들어오게 된 것이고, 그 하나님나라의 백성들은 예수 그리스도와 함께, 우리 주님 다시 오실 그 날까지, 이 땅에서 하늘의 왕 노릇을 하게 된다고, 제가 말씀 드렸어요. 

 

그런데 그 하늘의 왕 노릇은 다른 것이 아니라, 자기를 비우고, 자기를 낮추어서, 하나님과 다른 이들에게 유익이 되는, 그런 삶이기 때문에, 우리 오염된 육체로는, 쉽게 거기에 이를 수 없다고, 제가 말씀을 드렸죠? 그래서 하나님께서는, 징계와 고난을 동원을 해서, 우리가 하늘의 왕 노릇을 잘 할 수 있게끔, 만들고 계신 기간도, 바로 그 기간이라고 했어요. 

 

그래서 세대주의자들이 말하는 천년왕국과, 7년 대환란의 기간은 동일한 기간이며, 바로 지금 우리가 살고 있는 이 시간이, 그 기간이라는 것을 배웠어요. 시편 몇 구절을 보면서, 조금 더 부연 설명을 해보도록 하겠습니다. 시편 2편 7절 보세요. 

 

(시편 2:7-8)

7 내가 영을 전하노라 여호와께서 내게 이르시되 너는 내 아들이라 오늘날 내가 너를 낳았도다(내가 영을 전한다는 것은, 명령을 전한다. 이런 뜻이에요. ‘내가 너를 낳았다.’고 하나님이 말씀하세요.)

8 내게 구하라 내가 열방을 유업으로 주리니 네 소유가 땅 끝까지 이르리로다

 

여기서 예수 그리스도의 왕권이 선포되고 있습니다. 하나님의 영(令)으로! 이 구절은 지금 하나님께서 예수님께 하시는 명령인데, 그런데 하나님께서 예수님한테, ‘오늘날 내가 너를 낳았다’는 표현을 쓰고 계세요. 하나님께서 예수 그리스도를 낳으신 그 때가 바로, 예수께서 열방의 왕으로 등극하시는 날이라는 뜻이에요. 

 

지금 이 구절이, 이 구절을 가지고, 여호와의 증인들이, ‘예수님은 나중에 피조된, 창조된 창조물이다! 피조물이다!’라고 우기죠. 아니에요. 예수님은 창세전부터 하나님 아버지와 함께 존재하셨던 하나님이세요. 예수 그리스도는, 창세전부터 하나님 아버지의 장자셨고, 그 장자가, 첫 창조의 모든 것들의 머리가 되셔서, 만물을 다스리셨던 것이죠. 그죠? 

 

그런데 인간의 타락으로 말미암아, 새 창조가 필요하게 되었어요. 첫 창조가 아닌 새 창조가 필요하게 되었어요. 그게 새 창조물들이 여러분이란 말이에요. 그리고 여러분이 들어가 있는 그 새 하늘과 새 땅! 그게 인제 새 창조란 말이에요. 지금 우리는 옛 창조물 안에 살고 있지만!

 

예수님은 또 다시 그 새 창조에 관여하셔야 했어요. 장자로서! 하나님께서 이제는 영원히 타락할 수 없는 새 창조를 하시는데, 그 새 창조도 예수님을 통해 하시기로 했다 말이죠. 예수님은 기꺼이 그 새 창조 사역을 맡으셨고, 그 새 창조를 하는 방법으로 십자가를 지신 거예요. 그렇게 해서 새 창조는, 영적으로 완성이 된 거죠. 아직 가시적으로 이루어지지 않았지만!

 

그래서 예수님께서 새 창조를, 그 새 창조를 영적으로 완성하신, 예수님의 그 부활의 때를, 하나님은 ‘오늘날 내가 너를 낳았다’고 표현을 쓰신 거예요. 창조 때도 예수님이 장자였지만, 이제 새 창조 때도, 예수님이 장자로서 역할을 해야 된다 말이죠? 그러니까 하나님께서 ‘오늘 내가 너를 낳았다’고 표현하신 것은, 존재론적인 관점에서 보시면 안 되는 거고, 직능적이며, 기능적인 관점에서 보셔야 되는 거예요. 

 

성경에 보면, ‘예수님의 이름이 높아졌다, 혹은 그 분이 온전케 되었다.’라는 구절들이 있잖아요? 예수님의 이름이 높아져야 되는 분이에요? 원래 높으신 분이에요. 예수님은 하나님이시니까! 예수님이 온전하지 않으신 분이에요? 온전하신 분이에요. 그런데 무슨 말이에요. 이게? 예수님의 이름이 높아졌다! 예수님이 온전케 되셨다! 예, 그런 구속사 안에서, 그런 직능적, 기능적인 관점에서 해석을 해야 되는 거예요. 

 

아, 예수님이 요렇게, 하나님의 언약을 완성하시기에, 완수하시기에, 온전하게 그 모든 걸 다 이루셨구나! 그런 면에서 그분이 온전케 되었다. 그 일을 이루어 내심으로, 하나님의 그 이름을 높이셨다. 이렇게 이야기를 하는 거예요. 예수 그리스도의 십자가의 죽으심과 부활하심으로, 그렇게 영적으로 새 창조는 완성이 된 것이고, 이 시편 2편의 구절에 따르면, 바로 그 때, 하나님께서 예수님께, 열방을 유업으로 주셨고, ‘네 소유가 땅 끝까지 이르리로라!’라는 영(令)을 내리신 거라 말이죠. 

 

그러니까 그 하나님나라는, 예수 그리스도의 초림 때 이미 이루어졌다는 말이 되는 거예요. 그때 이미 하나님의 왕국은 시작된 것입니다. 그러니까 앞으로 몇 년 후에, 천년왕국이 올까? 난 7년 대환란을 지나게 될까? 아니면, 그 전에 휴거하게 될까? 이런 것에 관심 갖지 마시란 말이에요. 

 

오늘 본문도 역시 예수 그리스도의 초림을 천년왕국의 시작이라고 이야기를 하고 있어요. 어디서? 지금 제가 보여드릴게요. 오늘 본문 20장 2절과 3절을 보시면, 용! 마귀! 사탄이, 천년왕국이 시작되는 그 시점에, 무저갱에 결박당한다. 무저갱에 던져지고, 무저갱에서 결박당한다는 내용이 나오죠? 

 

잘 생각해 보세요. 그러니까 마귀가 결박당하는 바로 그 때에, 천년왕국이 시작된다는 말이죠? 그 구절은 그러죠? 이 부분은 전에도 제가 여러 번 설명을 해 드렸어요. 사단은 예수 그리스도의 십자가로 말미암아 지금 완전 무장해제 된 상태라고, 제가 여러 번 설명해 드렸죠? 디스암드(disarmed)! 예? 히브리서! 골로새서! 이런 거! 제가 들어서 설명해 드렸잖아요? 

 

그 말은, 사단이 이제, 하나님의 백성들을 참소(讒訴)할 근거가 없어져버렸다는 의미라고 했어요. 사단은 우리의 죄를 지적해서, 하나님 앞에 자꾸 고자질을 해서, ‘쟤 빨리 죽여요! 쟤 심판하세요!’라고 이야기를 해야 되는데, 이제 예수님이 십자가에서 다 해결해 버리셨기 때문에, 우리를 인제 참소할 수 없어요. 끌고 갈수가 없어요. 우리가 계속 죄를 지음에도 불구하고!

 

여러분! 계속 죄를 짓잖아요? 그럼에도 불구하고, 사단이 우리를 참소할 수가 없어요. 사단이 할 일은 그 건데! 그런 면에서, ‘결박당했다. 그가 무저갱에 던져졌다.’라고 이야기를 하는 거예요. 우리를 이제 정죄할 수 없으니까! 계시록 20장 2절 보세요. 

 

(요한계시록 20:2-3) 

2 용을 잡으니 곧 옛 뱀이요 마귀요 사단이라 잡아 일천 년 동안 결박하여 

3 무저갱에 던져 잠그고 그 위에 인봉하여 천년이 차도록 다시는 만국을 미혹하지 못하게 하였다가 그 후에는 반드시 잠깐 놓이리라 (그랬어요.)

 

여기도 보시면, 그 사단을 결박했다 놔줬다 하는 게, 누구예요? 하나님이에요. 그냥 놔줬다, 결박했다. 하나님 마음대로 하신다니깐요. 하나님이 어떤 목적을 이루시기 위해서, 하나님의 적절한 때에, 그를 결박했다가, 놔주기도 했다가, 그런 거예요. 그러니까 사단과 하나님이 지금 전쟁하는 것이 아니라, 하나님은 지금 사단을 이용해서, 하나님나라를 완성시키고 계시다는 거예요. 

 

그 2절에, ‘결박하다, 에데센’이라는 이 단어와 똑같은 단어가, 마태복음 12장에 나와요. 12장 29절보시면, 

 

(마태복음 12:29)

29 사람이 먼저 강한 자를 결박하지 않고야 어떻게 그 강한 자의 집에 들어가 그 세간을 늑탈하겠느냐 결박한 후에야 그 집을 늑탈하리라

 

지금 예수님은 사단을 결박했다. 그러신다 말이죠? 이 구절은, 예수님께서 귀신을 막 쫓아내고 계시니까, 유대인들이, ‘저가 마귀에 힘을 빌어서, 귀신을 쫓아낸다.’고 예수님을 중상했단 말이에요. 그때 예수님이 하신 말씀이에요. 

 

이 말씀은, 예수께서는 사단을 결박하시고, 그 사단의 세간인 귀신들렸던 자들! 다른 말로, 죄인들을 늑탈하러 오신 분이라는 것을 보여주는 거예요. 그리고 그것을 미리 상징적으로, 표징으로 보여주신 것이, 병자를 고치고, 귀신을 쫓아내신 일들인 거예요. 바로 여러분들이 사단의 세간이었다니깐요. 그 사단의 집의 세간들이었는데, 하나님께서 예수를 보내셔서, 그 사단을 결박하시고, 여러분을 늑탈해 내신 거예요. 빼앗아 오신 거예요. 

 

그러니까 예수님의 초림 때, 사단은 결박됐다는 것이죠. 그러니까 요 마태복음 12장의 요 결박과, 오늘 본문의 20장! 계시록 20장 2절의 결박과, 똑같은 단어란 말이에요. 그러니까 하나님나라는 예수께서 이 땅에 오시므로, 묵시 속에서 완성이 된 거고, 사단은 그렇게, 예수님의 초림 때, 결박을 당한 거란 말이에요. 

 

오늘 본문에 보면, 천년 왕국의 시작 때, 사단이 결박됐다고 분명히 나왔죠? 그러니까 천년왕국은 언제부터 시작된 거예요? 예수님의 초림 때 시작된 거라 말이에요. 누가복음 10장 17절 보세요. 

 

(누가복음 10:17-18)

17 칠십 인이 기뻐 돌아와 가로되 주여 주의 이름으로 귀신들도 우리에게 항복하더이다

18 예수께서 이르시되 사단이 하늘로서 번개 같이 떨어지는 것을 내가 보았노라

 

여기도 보시면, 예수님의 제자 70명이, 전도여행을 마치고 돌아왔을 때, 주님께서 그 일을 가리켜, ‘내가 사단이 하늘로서 번개같이 떨어지는 것을 보았다.’라고 이야기하세요. 그러니까 교회의 구원과, 다른 말로, 하나님나라의 그 확장과 사단의 결박은, 사단의 쫓겨남은, 아주 밀접한 관련이 있다는 것이란 말이에요. 

 

언제 교회가 구원됐어요? 예수님의 초림 때! 그러니까 그때 결박되고 쫓겨난 거란 말이에요. 요한복음 12장 31절. 이렇게 증거를 많이 대드리는데도, 우기면 저는 할 수 없어요. 31절. 

 

(요한복음 12:31)

31 이제 이 세상의 심판이 이르렀으니 이 세상 임금이 쫓겨나리라

 

이거 예수님이 하신 말씀이에요. 헬라사람들이 예수님을 찾아왔을 때, 예수께서, ‘이제 인자가 영광을 얻을 때가 왔도다!’라고, 십자가를 예언하신다 말이에요. 그러면서, ‘이제 세상에 심판이 이르렀으니, 이 세상의 임금이 쫓겨나리라!’라고 말씀하시는 거예요. ‘십자가로 말미암아 그들은 쫓겨나리라!’라고 말씀하시는 거예요. 이거보다 더 확실한 증거를 어떻게 대드려요? 

 

여기서 쓰인 ‘쫓겨나다, 에크발로’라는 이 단어는, 오늘 본문의 ‘무저갱에 던지다’의 ‘발로’하고 같은 어근이에요. 그리고 같은 의미에 단어라니깐요. 예수님이 십자가로 말미암아 ‘그를 쫓아낼 거야!’라고 말씀하신 그 ‘에크발로’가, 오늘 그 사단이 천년왕국에 시작 때, ‘무저갱에 던져진다’에서 쓰인 ‘발로’라는 단어하고 똑같은 단어란 말입니다. 그러니까 예수님의 초림 때, 그 사단이 결박되고, 무저갱에 던져진 게 맞아요? 틀려요? 맞다 말이에요. 이렇게 반응이 없어서…. 

 

사단이 무저갱에 갇혀 있는 그 천년왕국은, 이렇게 이미 예수 그리스도의 초림 때 시작이 된 거예요. 그러면 요한계시록의 중간 중간에, 사단이 성도들과 싸워서 이긴다는 말이나, 땅의 왕들을 미혹해서, 군대를 모은다는 그 말은, 무슨 뜻이겠어요? 사단은 분명히 갇혀 있다고 하면서!

 

분명 성경은 사탄은 철저하게 패배하고, 결박당해서, 무력한 존재가 되어 버린 것이라고 기록하기도 하는 반면에, 계시록 12장 7절에서 12절까지, 또 17장 8절에서 11절! 마태복음 12장 25절에서 30절! 누가복음 11장 14절에서 26절! 골로새서 2장 15절! 히브리서 2장 14절을 참고하세요. 제가 예전에 다 찾아드린 거라, 그냥 읽어드리고 넘어가는 거예요. 

 

그러나 또 다른 측면에서는, ‘사단이 성도들과 싸워서 이기고 있다.’ 계시록 13장 7절에 나오죠? 이기고 있다는, 각 족속과 백성과 방언과 나라를 다스리는 권세를 가지고 있다고, 기록하고 있단 말이에요. 모순처럼 보이죠? 우리는 이러한 모순처럼 보이는 문제에 대해서, 사단의 이중적 측면을 기억해야 되는 거예요. 

 

누차 말씀드린 대로, 이러한 사탄의 공격은요, 우리 성도들의 구원을, 궁극적으로 방해할 수 없어요. 맞습니까? 그죠? 그리고 하나님나라에 완성을 결코 제지하지 못해요. 사단의 공격은! 그러한 면에서, 사단이 결박되었다는 거예요. 

 

그러나 하나님은 사단에게, 성도들을 공격하도록 허락하신다. 그랬죠? 제가 에베소서에서 아주 몇 시간에 걸쳐서 설명해 드렸는데, 왜? 그러한 사단에 발악은, 오히려 하나님나라의 백성들의 거룩에 도움이 되기 때문이라고, 제가 전신갑주 공부하면서도 그러고, 그 전에도 여러 번 설명해 드렸잖아요? 

 

자, 사단은, 우리가 아까도 봤지만, 하나님의 백성들을 위해서, 지금 사용되어지고 있는 거예요. 어떤 시점에는 갇혔다가, 어떤 시점에는 풀려났다가, 이렇게 하나님이, 사단을 마음껏 부리면서, 하나님의 백성들과, 하나님나라의 완성에만 관심을 두고, 지금 뭔가 일을 진행시키고 계시는 거예요. 

 

그런 의미에서, 사단이 막 공격을 하고 있음에도, 사단이 결박당했다고 이야기하는 것입니다. 이거 아주 중요한 거예요. 여러분! 사사기 3장 1절 보세요. 

 

(사사기 3:1-4)

1 여호와께서 (누가? 여호와께서) 가나안 전쟁을 알지 못한 이스라엘을 시험하려 하시며

2 이스라엘 자손의 세대 중에 아직 전쟁을 알지 못하는 자에게 그것을 가르쳐 알게 하려하사(목적이 나오죠?) 남겨두신 열국은 (적들을 남겨뒀단 말이에요. 누가? 하나님이! 뭘 할라고? 이스라엘에게 뭘 가르쳐주려고, 하나님이 적들을 남겨주셨대요. 그 적들이 누구예요?)

3 블레셋 다섯 방백과 가나안 모든 사람과 시돈 사람과 바알 헤르몬산에서부터 하맛 어구까지 레바논산에 거하는 히위 사람이라 (많이도 남겨놓으셨죠? 이스라엘 대적들이에요. 이게! 그런데 누가 남겨놓으셨다 그래요? 하나님이! 이스라엘에게 뭘 가르쳐 알게 하려 하기 위해서, 하나님이 남겨두셨다 그런다 말이에요. 4절.)

4 남겨두신 이 열국으로 이스라엘을 시험하사 …

 

계속 반복해서 나오잖아요? 그러니까 대적은 왜 있는 거예요? 지금 하나님과 전쟁하는 거예요? 아니, 하나님이 남겨두신 거예요. 지금! 여러분을 위해, 하나님나라의 완성을 위해! 남겨두신 거라 말이죠. 

 

그러면 20장 3절에, ‘마귀가 천년 후에 잠깐 동안 풀려난다’는 말은 무슨 의미이겠어요? 이제 마귀의 공격은 점점점점점점 거세져요. 거세지지 않는 것처럼 보이지만, 마귀는 지금, 안 보이는 곳에서 우리를 더 죽여가고 있어요. 이 문명과 문화! 과학이 발달하므로 인해서, 우리의 영은 계속 죽어가고 있어요. 너무 바빠졌어요. 너무 분주해졌어요. 너무 좋은 게 많아서, 영적으로 여러분이 성경 읽는 시간, 기도하는 시간이 점점 줄어납니까? 늘어납니까? 줄어들어요. 

 

여러분이 전에, 여러분 어렸을 때와 요즘과 성경 볼 시간이 어느 때가 더 많았습니까? 어차피 그때나 지금이나 안 읽어요? (하하하하) 과학이 발달하고, 문명이 발달하고, 돈이 생기면, 성경을 보고 기도를 할 시간이 점점 줄어들어요. 사단은 그렇게 아주 교묘하게, 우리를 미혹하고, 우리를 유혹한다니깐요. 우리를 죽여가고 있어요. 지금 우리를 점점 거세게 공격하는 거예요. 이 공격이 점점점점 거세져서, 마지막에는 극에 달할 거라는 거예요. 그게 잠깐 풀려난다는 의미인 것입니다. 

 

이제 20장 1절에서 3절까지는 해결이 되었어요. 그 관점을 갖고, 19장의 그 마지막 최후의 전쟁을 한 번 풀어보자고요. 그럼 아주 쉬워요. 19장 17절 부터 21절까지에는, 두 가지의 환상이 등장하고 있어요. 17절이 ‘내가 보매’라는 단어로 시작되죠? 그리고 19절이 ‘또 내가 보매’ 이렇게 시작된다 말이에요. 그러니까 두 가지 환상이라는 의미예요. ‘내가 보매’ 그러면, 항상 환상이 나왔잖아요? 

 

여러분이 보시면 아시겠지만, 17절과 18절 그리고 19절부터 21절까지의 내용은, 같은 사건을 반복해서 설명하고 있는 거예요. 계시록 19장 17절 보세요. 

 

(요한계시록 19:17-21) 

17 또 내가 보니 한 천사가 해에 서서 공중에 나는 모든 새를 향하여 큰 음성으로 외쳐 가로되 와서 하나님의 큰 잔치에 모여 (이런 단어들을 잘 기억해 두세요.) 

18 왕들의 고기와 장군들의 고기와 장사들의 고기와 말들과 그 탄 자들의 고기와 자유한 자들이나 종들이나 무론대소하고 모든 자의 고기를 먹으라 하더라

 

한 천사가 공중의 모든 새들에게, 큰 음성으로 외쳐요. ‘왕들의 고기와 장군들의 고기와 장사들의 고기와 말들과 그 탄 자들의 고기와 자유한 자들이나 종들이나 무론대소하고 모든 자의 고기를 다 먹어라!’ 그리고 새가 고기를 먹는 장면으로 끝나는 거예요. 이렇게 한 장면 끝나는 거예요. 

 

그리고 19절부터, ‘또 내가 보매’ 그러는데, 똑같은 내용이 또 나와요. 새가 또 고기를 먹어요. 보세요. 19장 19절. 

 

19 또 내가 보매 그 짐승과 땅의 임금들과 그 군대들이 모여 그 말 탄 자와 그의 군대로 더불어 전쟁을 일으키다가 

20 짐승이 잡히고 그 앞에서 이적을 행하던 거짓 선지자도 함께 잡혔으니 이는 짐승의 표를 받고 그의 우상에게 경배하던 자들을 이적으로 미혹하던 자라 이 둘이 산채로 유황불 붙는 못에 던지우고 

21 그 나머지는 말 탄 자의 입으로 나오는 검에 죽으매 모든 새가 그 고기로 배불리우더라

 

그런데 17절 18절과, 19절과 21절에서, 새들이 먹는 고기가 다르죠? 고기만 달라요. 그런데 내용은 똑같단 말이에요. 이 두 환상은 같은 환상인데요, 17절 18절에서는, 사단과 그 짐승들을 추종하는 자들의 멸망(滅亡)에 초점을 두고, 그리고 있는 것이고. 19절에서 21절까지의 내용은, 그들을 사주하던 짐승과 거짓선지자! 그것도 짐승이죠? 이 짐승들의 멸망에 초점을 두고, 그리고 있는 거예요. 

 

그러니까 똑같은 사건인데, 여기서는 사단을 추종하던 자들! 여기서는 짐승들! 그들이 멸망하는 것을 ‘내가 보매, 내가 보매’ 하면서 요렇게 요렇게 보고서, 기록하는 거란 말입니다. 

 

그리고 여기를 잘 보시면요, 짐승들뿐만이 아니라, 나머지까지 다 죽었어요. 그죠? 21절 보시면, 그 나머지도 다 죽고, 모든 새가 다 뜯어 먹었어요. 이미! 예, 나머지까지 사그리 다 멸망한 거예요. 만국이 다 멸망한 거예요. 

 

그런데 20장에 가면, 또 전쟁이 나와요. 곡과 마곡의 전쟁! 그리고 19장에서, 만국이 다 멸망했는데, 나머지까지 다 죽었는데, 20장 3절에서, 만국이 아직도 남아있어요. 3절 볼까요? 

 

(요한계시록 20:3)

3 무저갱에 던져 잠그고 그 위에 인봉하여 천년이 차도록 다시는 만국을 미혹하지 못하게 하였다가 …

 

다 없어졌는데, 무슨 또 만국을 또 미혹합니까? 지금 다 뜯어 먹었는데! 그러니까 시간 순으로 해석을 하면은, 이런 게 안 풀린다 말이에요. 이런 걸 설렁 설렁 넘어가게 된다니깐요. 아니면, 억지로 이걸 꿰어 맞추게 된다 말이에요. 

 

그러나 제가 성경으로 쭉 풀어드리겠지만, 여러분들이 이것을 ‘아! 이 말세에 기간 동안에 일어날, 그리고 이 우주의 종말에 일어날, 그러한 이 전쟁을 계속해서, 우리에게 경계의 목적으로 반복하고 있는 것이구나!’라는 것을 알고 보면, 아주 수월하게 풀린다 말이에요. 

 

종합을 해보면, 오늘 본문 19장 후반부의 그 전쟁은, 요한계시록 전반에 걸쳐서 반복되어 기술되어 있던, 바로 그 전쟁이, 또 반복해서 기록되어 있는 거예요. 세대주의자들의 주장처럼, 절대 역사적인 순서가 아니란 말이에요. 제가 조금 더 확실하게 확인을 시켜 드리고 갈게요. 

 

이 19장 17절 이하의 전쟁은, 에스겔서 38장과 39장을 그대로 옮겨다가 인용한 거예요. 전에도 한 번, 우리가 한 번 찾아봤지만, 오늘 한 번 또 보자고요. 요한계시록 20장의 곡과 마곡의 전쟁이 나와요. 19장의 그 전쟁 말고, 또 곡과 마곡의 전쟁에 나오는데, 그것이 어떻게 에스겔서 38장 39장에 다 나와 있는지, 한 번 잘 보시란 말이에요. 계시록 20장 7절 보세요. 

 

(요한계시록 20:7-9)

7 천년이 차매 사단이 그 옥에서 놓여

8 나와서 땅의 사방 백성 곧 곡과 마곡을 미혹하고 모아 싸움을 붙이리니 그 수가 바다 모래 같으리라

9 저희가 지면에 널리 퍼져 성도들의 진과 사랑하시는 성을 두르매 하늘에서 불이 내려와 저희를 소멸하고 (그런다고요.) 

 

그 전쟁이, 에스겔서 38장에. 이미 예언되어 있어요. 잘 보세요. 곡과 마곡의 전쟁이 여기에 나왔는데. 에스겔서 38장에 어떻게 나오는지 보세요. 에스겔서 38장 2절 보세요. 

 

(에스겔 38:2-3, 22-23)

2 인자야 너는 마곡 땅에 있는 곡 곧 로스와 메섹과 두발 왕에게로 얼굴을 향하고 그를 쳐서 예언하여

3 이르기를 주 여호와의 말씀에 로스와 메섹과 두발 왕 곡아 내가 너를 대적하여

22 내가 또 온역과 피로 그를 국문하며 쏟아지는 폭우와 큰 우박덩이와 불과 유황으로 (전부 요한계시록에 나오는 단어들이죠?) 그와 그 모든 떼와 그 함께 한 많은 백성에게 비를 내리듯하리라

23 이와 같이 내가 여러 나라의 눈에 내 존대함과 내 거룩함을 나타내어 나를 알게 하리니 그들이 나를 여호와인 줄 알리라 (에스겔서 39장 6절 보세요.) 

 

(에스겔 39:6)

6 내가 또 불을 마곡과 및 섬에 평안히 거하는 자에게 내리리니 그들이 나를 여호와인 줄 알리라

 

요한계시록 20장의 그 곡과 마곡의 전쟁과 단어들까지도 똑같아요. 39장 17절로 가면, 그 곡과 마곡의 전쟁에, 오늘 본문 19장의 그 새들이 등장해요. 그러니까 이건 같은 걸 이야기하고 있다는 거예요. 지금 에스겔서를 인용을 해서 요한이, 19장, 20장 아니, 그 앞에서도 계속 같은 전쟁을 반복하고 있는 거예요. 볼까요? 에스겔서 39장 17절 보세요. 

 

(에스겔 39:17-20)

17 너 인자야 나 주 여호와가 말하노라 너는 각종 새와 들의 각종 짐승에게 이르기를 너희는 모여 오라 내가 너희를 위한 잔치 곧 이스라엘 산 위에 예비한 큰 잔치로 너희는 사방에서 모여서 고기를 먹으며 피를 마실지어다 (오늘 본문 19장 17절 이하와 단어들까지 또 똑같죠? 잔치! 새! 그대로 다 나오잖아요?)

18 너희가 용사의 고기를 먹으며 세상 왕들의 피를 마시기를 바산의 살찐 짐승 곧 수양이나 어린양이나 염소나 수송아지를 먹듯 할지라

19 내가 너희를 위하여 예비한 잔치의 기름을 너희가 배불리 먹으며 그 피를 취토록 마시되

20 내 상에서 말과 기병과 용사와 모든 군사를 배불리 먹을지니라 하라 나 주 여호와의 말이니라

 

그러니까 우리가 공부하고 있는 오늘 본문은, 에스겔서의 그 곡과 마곡의 전쟁을 그대로 옮겨놓은 것인데, 오히려 39장의 내용을 19장에다가, 그리고 38장의 내용을 20장에다가 이렇게 거꾸로 옮겨서 기록하고 있는 거예요. 

 

그러니까 19장 17절 이하를 역사적인 순서로 해석을 하는 것은, 구약의 말씀과 이 요한계시록의 문학적 구성을, 전혀 무시한 해석이 되는 것입니다. 그러니까 에스겔서를 완전히 무시해 버리면, 백번 양보해서, 그렇게 세대주의자들처럼 해석을 할 수가 있어요. 그러나 에스겔서를 알고 있는 저는, 그렇게 해석을 못하겠다는 것입니다. 

 

그러니까 계시록 19장 17절 이하에 나오는 그 전쟁과, 계시록 20장 7절 이하에 나오는 곡과 마곡의 전쟁은, 같은 전쟁을 다른 관점에서 보여주는 장면이에요. 19장에서는, 짐승을 추종하던 자들과, 18절까지죠? 19절 이후부터는 짐승들과, 그리고 20장에서는 사단의 멸망(滅亡)! 요렇게 고 부류들의 멸망! 악에 세력들에 멸망을 요렇게 나누어서, 지금 따로 따로 설명하고 있는 거란 말이에요. 아시겠죠? 요거를 읽어 보고 오신 분들은, 금방 이해를 하실 텐데, 전혀 읽어보지 않고, 맨머리로 오신 분들은, 전혀 ‘지금 이게 무슨 소리인가?’ 하실 텐데…. 알아서 하세요. 알아서 하세요. 저 모르겠어요. 인제!

 

그런데 이 전쟁은, 16장에도 이미 등장한 전쟁이에요. 계시록 16장 12절 보세요. 

 

(요한계시록 16:12-16)

12 또 여섯째가 그 대접을 큰 강 유브라데에 쏟으매 강물이 말라서 동방에서 오는 왕들의 길이 예비되더라

13 또 내가 보매 개구리 같은 세 더러운 영이 용의 입과 짐승의 입과 거짓 선지자의 입에서 나오니

14 저희는 귀신의 영이라 이적을 행하여 온 천하 임금들에게 가서 하나님 곧 전능하신 이의 큰 날에 전쟁을 위하여 그들을 모으더라

15 보라 내가 도적 같이 오리니 누구든지 깨어 자기 옷을 지켜 벌거벗고 다니지 아니하며 자기의 부끄러움을 보이지 아니하는 자가 복이 있도다

16 세 영이 히브리 음으로 아마겟돈이라 하는 곳으로 왕들을 모으더라

 

이 전쟁은 분명히 예수님이 바로 오기 전에 일어날, 최후의 전쟁이에요. 아마겟돈 전쟁 그죠? 이 아마겟돈 전쟁은, 용! 그 사단의 입과, 짐승의 입과, 거짓 선지자의 입에서, 세 더러운 영이 나와서, 세상의 왕들을 모아서, 여호와의 큰 날! 즉 이 마지막 날에, 심판의 날에, 치르게 될 전쟁을 이야기하는 거예요. 그러나 지금 역사 속에 그 전쟁은, 연장되어서, 계속 치뤄지고 있는 거라고 제가 설명해 드렸죠? 

 

그런데 14절에, 그 ‘전쟁, 홀레몬’이라는 단어 앞에, ‘톤’이라는 정관사가 붙어 있어요. 톤 폴레몬! 그러니까 그 전쟁이라는 뜻이에요. 그러니까 그 전쟁은, 앞에서 지금 한 번 얘기 했다는 것이죠. 요한이! 그러니까 톤 폴레몬! 그 전쟁이라고 이야기하는 거란 말이에요. ‘이 아마겟돈 전쟁은, 내가 앞서 얘기한 바로 그 전쟁이야!’ 이렇게 이야기하는 거예요. 

 

예수님이 복음서에서, 인자가 거기 아 더 썬 오브 맨(the son of man)! 그러잖아요? 그 인자가 이렇게 이야기를 하신다고요. 다니엘서 7장의 그 인자를 이야기하는 거였잖아요? 그죠? 그래서 정관사 ‘톤’이 붙으면, 항상 앞에 이야기한 적이 있다는 이야기란 말이에요. 

 

그럼 이 아마겟돈 전쟁이 언제 얘기가 됐던 거예요? 15장 보세요. 1절. 

 

(요한계시록 15:1)

1 또 하늘에 크고 이상한 다른 이적을 보매 일곱 천사가 일곱 재앙을 가졌으니 곧 마지막 재앙이라 하나님의 진노가 이것으로 마치리로다

 

잘 보시면, 지금 이게 대접재앙인데, 하나님의 진노가 인제 마쳐지는 거예요. 하나님의 진노가 마쳐지면, 인제 전쟁이 있어요? 없어요? 없어요! 그러니까 대접재앙이 끝이에요. 이 이야기가 바로 이 마지막 재앙인 대접재앙의 이야기예요. 이 이야기가, 아마겟돈 전쟁이고, 오늘 우리가 본, 곡과 마곡의 전쟁이고, 19장 이하의 그 전쟁인 거예요. 그게 어떻게 끝나나 보세요. 대접재앙이! 16장 19절. 

 

(요한계시록 16:19-21)

19 큰 성이 세 갈래로 갈라지고 만국의 성들도 무너지니 큰 성 바벨론이 하나님 앞에 기억하신바 되어 그의 맹렬한 진노의 포도주 잔을 받으매 (지금 바벨론의 멸망으로 이렇게 정리를 하고 있어요. 대접재앙을!)

20 각 섬도 없어지고 산악도 간 데 없더라 (아까 우리가 에스겔서에서, 하나님이 마곡과 어디에다 불을 내렸다 그랬어요? 섬에다가! 예 섬에다가 불을 내렸다, 그랬잖아요? 여기도 각 섬도 없어지고 산악도 간 데 없도다.)

21 또 중수가 한 달란트나 되는 큰 우박이 하늘로부터 사람들에게 내리매 사람들이 그 박재로 인하여 하나님을 훼방하니 (인간들이 그래도, 마지막 그 심판대 앞에서도 회개를 안 하더라는 거예요. 죄가 그렇게 무섭다는 것입니다.) 그 재앙이 심히 큼이러라

 

역시 에스겔서의 그 곡과 마곡의 전쟁에서 쓰인 단어들이, 그대로 이 전쟁에 다 쓰이고 있어요. 그런데 이 부분은, 악의 세력을 총칭하는 그 바벨론이 멸망하는 부분이고, 그 마지막 대접재앙의 부분이란 말이에요. 그러니까 아마겟돈 전쟁은, 바로 이 전쟁을 의미하는 거예요. 그래서 아마겟돈 전쟁 앞에, ‘톤’이라는 정관사가 붙어 있는 거예요. 톤 폴레몬!

 

그리고 그 바벨론의 멸망이라는 그 대접재앙을, 17장과 18장에서 다시 반복해서 설명해 줬잖아요? 17장 18장이 다 뭐였어요? 음녀 바벨론의 멸망에 대한 기록이었잖아요? 다 잊어버리신 거예요? 그래서 목사가 먹고 사는 거예요. 잊어버리면 어때요? 또 얘기해주면 되지! (하하하) 17장 18장에는 음녀 바벨론의 멸망이 반복해서 설명되어 있잖아요? 그죠? 

 

그리고 17장과 18장의 그 내용! 그것을 19장에 들어와서, 또다시 반복해서 설명해 주는 거예요. 19장 19절 보세요. 

 

(요한계시록 19:19)

19 또 내가 보매 그 짐승과 땅의 임금들과 그 군대들이 모여 그 말 탄 자와 그의 군대로 더불어 전쟁을 일으키다가

 

요 전쟁을 20장 7절 이후에서, 곡과 마곡의 전쟁으로 다시 한 번 보여주는 거예요. 뭘 근거로? 20장 8절 보세요. 

 

(요한계시록 20:8)

8 나와서 땅의 사방 백성 곧 곡과 마곡을 미혹하고 모아 싸움을 붙이리니 (이거 전쟁이라는 단어예요. 폴레몬! 똑같은 단어예요.) 그 수가 바다 모래 같으리라

 

이 앞에 똑같이 ‘톤’이라는 정관사가 붙어 있다고요. 그 말은 무슨 말이에요? ‘내가 앞에서 말한 그 전쟁!’ 이런 뜻이에요. 어디서 이야기했겠어요? 19장! 16장, 17장, 18장 계속해서 등장했던 그 전쟁! 그것이 바로 이 곡과 마곡의 전쟁이고, 아마겟돈 전쟁이고, 바벨론의 멸망이고, 그런 거예요. 이게 반복되어져서 기록되어 있는 것입니다. 여러분! 

 

지금까지 제가 여러 가지 구절들을 들어서 설명해 드렸지만, 다 잊어 버리셔도 괜찮아요. 다 잊어 버리셔도 괜찮아요. 한 가지 기억하실 것은, 그냥 ‘그 전쟁들이 다 같은 것을 설명하는 것이구나!’라고만 알아두시면 돼요. 아셨죠? 

 

중요한 건 이거예요! 분명 전쟁은 실제하고 있고, 실제 했으며, 실제 할 것이라는 거예요. 반드시 심판은 있을 거라는 거예요. 그리고 그 심판은 지금도 일어나고 있다는 거예요. 우리가 일곱 재앙에서 살펴봤잖아요? 그건 지금도 일어나고 있다는 것입니다. 

 

우리가 이미 앞에서 다 공부한 부분이지만, 그 모든 마지막 때에 전쟁들은, 마지막에 딱 한 번 일어나고 마는 전쟁이 아니라, 하나님의 자녀가 존재하는, 그 역사의 모든 현장에서, 끊임없이 반복되고 있는 전쟁이라는 거예요. 왜 하나님은 그 전쟁을 그렇게 역사 속에서, 끊임없이 반복시고 있는가? 그거는 우리가 이미 알고 있어요. 제가 조금 있다 다시 설명해 드리겠지만!

 

분명 결국에는 마지막 결전의 날이 있겠지만, 우리는 그 전쟁의 연장선상에서, 끊임없이 작은 전쟁들을 치르고 있는 거예요. 그렇다면 그 전쟁의 내용이 뭡니까? 여러분! 그 전쟁에 발단이 뭐였죠? 

 

하나님을 섬기던 천사가, 하나님께 불순종하고 그 질서를 깨버린 거예요. 자기 힘으로 자기의 삶을 책임지겠다고 나선 것에서 부터 시작된 게, 바로 전쟁(戰爭)이란 말이에요. 그게 죄의 발단(發端)이잖아요? 그리고 땅으로 쫓겨난 사단이, 역시, 에덴동산에 세워진, 다스림과 그 순종의 질서를, 선악과로 말미암아 세워졌던 다스림과 그 순종의 질서를, 깨버리는 것으로, 그 전쟁이 지속 계속 되어진 거란 말이에요. 진행되어진 거란 말입니다. 우리가 치르고 있는 전쟁이 바로, 그 전쟁이에요. 

 

그러니까 하나님과 마귀와의 전쟁이라는 것은, 하나님께 불순종하고, 자신의 힘을 키워서, 하나님과 상관없이 스스로를 책임지겠다는 쪽과, 그걸 절대 묵인(默認)하실 수 없다는, 하나님과의 전쟁인 거예요. 쉬운 말로, ‘나는, 나의 힘으로, 나만을 위해서 살겠다’고 하는 자들과, ‘너희는 하나님을 의존해서 살아야 하는 존재야!’라고 말씀하시는 하나님과의 그 전쟁이, 바로 영적 전쟁의 실체인 거예요. 

 

하나님은, 하나님의 백성들에게, 하나님이 궁극적으로 원하시는 게 뭐고, 하나님이 싫어하는 것이 무엇인지를, 설명하고, 설득시켜서, 하나님나라에서 영원한 그 화목(和睦)의 관계를 유지하고 살고 싶으셔서, 지금 마귀를 동원해서, 그걸 설명하고 계시는 거예요. 그래서 하나님은 지금도 마귀를 불못에 던져 넣을 능력이 있으심에도 불구하고, 놔두시는 거죠. 그걸 통해서, 하나님이 무얼 싫어하는지, 어떤 것들을 심판하는 지를, 하나님이 우리에게 지금 경험케 해주시는 거예요. 

 

하나님은 지금 하나님 앞에서, 하나님을 의존하지 않고, 자신의 힘을 의존하는 자들을, 무장해제 시키시는 전쟁을 하고 계시는 거예요. 그 전쟁에 여러분이 들어가 있는 거예요. 그래서 하나님이 여러분을 자꾸 지금 무장해제 시키고 계신 거예요. 왜? 새 하늘과 새 땅에 데리고 들어가서 살려고! 

 

그렇게 마귀와 마귀의 다스림을 받고 있는 죄인들이 추구하는 것은, 한 마디로 ‘자기 가치향상’이에요. 그죠? 나! 나예요. 이 우주의 중심에 나를 갖다 놓는 것! 자기 가치 향상! 그게 성경이 말하는 죄예요. 하나님은 그것을 향해서 칼을 뽑아 드시는 거예요. 그리고 결국 모든 피조물들을 그 발 앞에 무릎 꿇리실 거예요. 그런데 중요한 건, 그러한 마귀적 지향이, 구원을 받은 하나님의 백성들 속에도 여전히 남아 있다는 게, 문제인 거예요. 

 

그래서 하나님은, 그 하나님의 백성들 속에 남아 있는 그 마귀적 본능들을, 하나 하나 깨가는 전쟁을, 성도의 삶속에서 일으키고 계시는 거예요. 그리고는 결국에는, 성도 안에 남아있는, 그 더러운 것들을 다 전멸 시키시고, 오늘 본문에 말씀처럼, 그 모든 더러운 것들을, 새가 뜯어 먹게 만드실 것이고, 성도들을 정금같이 단련해내실 거란 말이죠. 그래서 그 새에게 먹이를 주기 위해, 여러분 안에 들어 있는 그 마귀적인 본능! 오염! 부패성! 이런 것들! 지금 막 뜯어내시는 거예요. 신앙생활을 통해서! 

 

‘나는 없는데요.’ 웃기지 마세요. 다 있어요. 그 착각이라는 거예요. 그게! ‘나는 없는데요. 그런데 왜 이렇게 고통스럽게 만드세요?’ 웃기지 마시라니깐요. 그 사람이 하나님으로부터 지금 다스림을 받고 있는 하나님의 백성이에요. 그 게요! ‘나는 예수 믿고도 왜 이렇게 편해요.’ 안녕히 가세요. (하하하) 그런 사람은 예수 믿는 사람 아닙니다. 절대 그럴 수가 없어요. 우리는 날 때부터 죄인인데, 어떻게 예수 믿고도 편안해요? 

 

하나님은 우리를 공박해 들어와서, 그걸 아주 포를 떠버리신다고요. 우리 안에 덕지덕지 붙어 있는, 내 살로 붙어 있는 그 죄악을, 덕지덕지 붙어 있는 그 죄악을, 포를 떠버리신다니깐요. 그런데 안 아프다고요? 그 사람이 예수 믿는 사람 아니라니깐요. 

 

우리가 요한계시록을 통해서 읽어 내야 하는 것이, 바로 그건 거예요. 하나님은 이 인간의 역사 속에서, 계속해서 그 전쟁에 승리하고 계시고, 결국에는 완전한 승리를 거두실 것이라는 것을, 우리는 배워야 되는 거예요. 그래서 여러분의 삶이 고달픈 거예요. 하나님이 이기고 계시니까! 새한테 지금 뜯어서 자꾸 줘버리고 계시니까! 내 자아가 자꾸 해체되어버리고 있으니까, 힘든 거예요. 그러나 그게 복(福)이에요. 

 

그걸 알기 때문에, 이 힘든 속에서 우리는 기뻐하는 것입니다. 세상 사람들이 보면, ‘저거 미친놈들이구나! 저 상황에서 어떻게 기뻐할까?’라고 하지만, 우리는 기쁜 거예요. 그걸 아니까! 내 이 더러운 것들을, 하나님이 지금 새에게 자꾸 먹이를 주고 계시다니깐요. 뜯어내고 계시다니깐요. ‘안 돼! 이거 남겨두면 더 곪아! 안 돼! 다 뜯어 버려야 돼! 다 뜯어 버려야 돼!’ 

 

우리 성도들의 인생 속에서, 우리가 하나님 말고 힘으로 의지하고 있던 것들이, 자꾸 내게서 잘려 나가는 거, 그게 신앙생활인 거예요. 여러분! 남편과 두 아들! 풍요로운 재물을 가지고 모압으로 갔던, 그 나오미를 생각해 보세요. 가나안을 떠날 때는, 풍요로웠다 그랬죠? 스스로 이야기하잖아요? 그 나오미를 하나님이 어떻게 만드셨어요? 홀딱 벗겨서, 완전히 알거지를 만들어 갖고 보냈어요. 남편! 두 아들! 다 죽여 버리고, 재산 다 날리고, 거지 되어서 왔어요. 하나님 바라보라고!

 

가나안으로 데리고 들어오신 거예요. ‘아니, 나는 모압에 가서, 내 방식대로 거기 가서 그 풍년 된 땅에서 잘 먹고 잘 살래요. 왜 그러세요?’ 그러고 갔는데, 하나님이 그냥 놔두신 게 아니라, 홀랑 벗겨서 다시 가나안으로 데리고 오셨대니깐요. 그게 그리스도인의 인생인 거예요. 그게 하나님의 승리인 거예요. 세상은 끊임없이 힘으로 우리를 유혹하고, 하나님은 끊임없이 그 힘을 빼버리신다고요. 

 

아까 우리 아마겟돈 전쟁에서, 그 더러운 세 영이 무엇으로 세상 사람들을 미혹한다 그래요? 어떻게 세상 사람들을 모으더라, 이적으로 모으더라, 그러지 않습니까? 은 이빨 금이빨을 막 만들어주고, 병자를 고치고 하면서, ‘이적으로 모으더라.’ 그러잖아요? 나오잖아요? 정확히! 그런데 왜 거기 가 계신 거예요? 왜 거기 가시는 거예요? 힘을 쫓아가는 거예요. 이적을 쫓아간다는 건, 이 시대에 예배당에 있는, 그 가짜 그리스도인들이 힘을 쫓아다니는 거예요. 지금 그 사단의 미혹에 아주 그냥 쑥 빠져 있다니깐요. 아니, 하나님은 힘을 빼버리시는 거예요. 

 

여러분! 예수를 믿는다는 걸, 장밋빛 환상으로 기대하시면 안 돼요. 십자가는 단순히, 죄를 용서하는 방법이 아니라, 십자가는, 인간의 죄를 공박해 들어오는 불도우저 같은 거예요. 그래서 인간이 십자가 앞에 서게 되면, 그 복음이라는 불도저 앞에, 우리는 매일 매일 깔려서, 오징어포가 되는 거예요. 복음은, 우리를 불도우저처럼 밀고 들어와서, 그 안에 있는 정금들만 남기고, 나머지는 오징어처럼 싹 밀어 버리는 거예요. 그게 복음이에요. 

 

복음은, 예수 믿고, 잘 먹고 잘 살고, 병 낫는 게, 복음이 아니라, 내 안에 창조된 새 생명만 남고, 나머지는 오징어처럼 확 밀려버리는 거죠. 그게 죽는 날까지 계속되는 거예요. 그게 신자의 삶이에요. 여러분이 지금 오징어포가 안 되어 있으면, 여러분은 신자가 아닌 거예요. 

 

그 복음은, 그 예수는, 우리를 뚫고 들어와서, 그 죄를 지금 도려내고 있기 때문에, 이 영과 혼과 골수와 살을 다 쪼개고 있기 때문에, 이 불도우저가 밀고 들어오면, 우리는 오징어포가 되는 거예요. ‘어? 이거 뭐야?’ 이거 그동안 내가 의(義)라고 여기고 있던 거, 그동안 내가 참 나는 괜찮은 인간이라고 여기고 있던 거, 이게 다 그냥 백일하에 드러나 버려요. 그래서 오징어포가 되는 거예요. ‘어! 나는 괜찮은 건줄 알았는데, 예수 믿고 어떻게 죄를 더 짓는 거 같아!’ 말씀이 들어오면 그렇게 된다니깐요. 포를 떠버린다고요. 

 

여러분! 마태복음에 보면, 예수님이 태어나자마자 그 평온하던 땅에, 대살육이 일어나죠? 예수님이 오자마자, 그 존경받던, 도덕적으로, 윤리적으로, 그렇게 존경받으며 살고 있던, 착한 바리새인들이, 마치 인간의 탈을 쓰고 있던 좀비들처럼, 껍데기를 확 벗고, 예수님을 죽이려고 달려들어요. 예수님이 가는 곳마다, 죄가 팍팍 드러나는 거예요. 위장하고 있던 죄들이, 팍팍 드러나는 거예요. 말씀이 이 땅에 오자, 죄가 그냥 막 드러나 버려요. 

 

하나님이, 수술을 해야 되는데, 이 환부를, ‘애가 어디가 아파요!’ 하고 드리대야, 하나님이 고쳐줄 거 아니에요? 그런데 얘네들이 전부 자기를 위장하고 있거든요. 나는 괜찮은 것처럼! 그러니까 하나님이 그 환부를 들쳐 내시는 거예요. ‘너 여기도 아프잖아? 여기도 아프잖아?’ 들쳐 내시는 거예요. 못 견디죠? 그걸 하나님이 잘라내 가시는 거예요. 내 살처럼 붙어 있는 그 죄를! 여러분의 삶에 그 일이 일어나는 거예요. 

 

‘아! 나는 괜찮은 줄 알았는데, 예수 믿고 났는데, 더 죄를 많이 짓는 거 같아!’ 그거는 더 죄를 많이 짓는 게 아니라, 말씀으로 말미암아 내가 지금 자꾸 드러나고 있는 거예요. 그리고 하나님이 나에게 보여주시는 거죠. ‘이게 너야! 그리고 이게 바로 끊어내야 할 거야! 알았어?’ 그러면서 도려내시는 거예요. 그러니까 아픈 거예요. 

 

그 마태복음에 두 부류의 사람들이 등장하죠? 한 부류는? 자기의 힘을 자기의 왕좌를 지키기 위해, 어린아이까지 죽이는 것도 불사하는 그런 헤롯 같은 부류의 인간과, 어린아이가 태어남으로 말미암아, 애굽으로, 나사렛으로, 질질질질 끌려 다니는 요셉과 마리아라는, 부류가 등장하는 거예요. 하나님은 자기의 힘을 의지하고, 자기의 자리를 지키기 위해, 딴 세상 사람들을 밟아, 아니, 죽여 버리던, 우리들에게 찾아오셔서, 그 어린아이에게 질질질질 끌려 다니는, 순종하게 되는, 하나님의 백성을 만들어 내시는 거예요. 그게 임마누엘! 예수가 이 땅에 오신 진정한 의미인 거예요. 그게 성탄절이에요. 

 

그런데도 여러분이 그 성탄절을, ‘기쁘다 구주 오셨네!’ 하면서, 그렇게 찬송할 수 있어요? 기쁘세요? 그게 이게 중요한 거예요. 말씀이 오면, 예수가 오면, 십자가가 여러분 앞에 딱 서게 되면, 여러분은 그냥, 거기에 밀려서, 계속 오징어포가 되는 거예요. 그러니까 하나님의 말씀이 떨어지는 곳에 고통이 있어요. 아픔이 있다니깐요. 

 

여러분은 제 설교를 매주 들으시면서, ‘저 사람이 왜 맨날 나하고 저렇게 싸우자고 드나? 왜 나만 갖고 지랄이야? 매주!’ 이렇게 들으셔야 돼요. 왜? 말씀은 여러분을 공박한다니깐요. 여러분을 위로하고 격려하는 게 아니라, 여러분을, 예수는 여러분을 공박하고 들어가서, 죄를 끊어내 버린다니깐요. 그러니까 여러분은 제가 미워지셔야 되는 거예요. 

 

갈라디아 4장에 보면, 사도 바울이 그러죠? 갈라디아 교인들에게, ‘너희들! 처음 나를 대할 땐 예수나 천사처럼 대해줬잖아? 너희들 처음 내가 복음 전할 때, 너희들 눈이라도 빼줄라 그랬잖아?’ 그죠? ‘그런데 왜 지금, 나는 똑같은 복음을 계속 전하고 있는데, 왜 지금 나를 원수 취급하니?’ 그런다니깐요. 처음에 한동안은, 야! 못 들어본 얘기 해주니까, ‘우리 목사 공부 많이 했나봐! 참 똑똑해!’ 그래서 잘 들어요. 

 

그런데 매주 오는데, 매주 자기한테 칼로 뿍뿍 쑤셔! 1년이 가고, 2년이 가고, 3년이 가까와 오는데, 매주 쑤셔! ‘저 웬수가 지금 나만 미워하는 거 아닌가?’ 이렇게 되어야 되는 거예요. 왜? 그 말씀! 예수! 십자가는, 여러분을 공박해 들어가는 불도우저라니깐요. 여러분은 그 앞에서 자꾸 오징어포가 돼야 되는 거예요. 그리고 나를 해체시켜 버리는 거예요. ‘난 이런 존재구나!’ 그게 신앙생활인 것입니다. 그런데 거기에 기복과 신비! 알파 코스! 이런 게 어딜 들어갈 틈이 있습니까? 

 

여러분! 제발 예수 믿는 게 무엇인지 잘 구별하고 믿으셔야 돼요. 그 말씀은, 여러분을 공박해 들어갑니다. 그 말씀 앞에 설 때, 여러분이 아파야 돼요. 그러나 그 아픔은, ‘야! 이 아픔을 통과하면, 하나님이 저 새 하늘과 새 땅을 주신대!’라는 소망과 함께 하는 아픔이기 때문에, 기쁨 속의 아픔인 거예요. 

 

요한복음 12장 48절에 보면, 마지막 때에, 무엇이 세상을 심판한다. 그래요? ‘내가 한 말이 세상을 심판하리라!’ 그러죠? 그 말이에요. 왜 예수님이 이 땅에 오셔서, ‘내가 검을 주러 왔다.’ 그러는 줄 아세요? 그거 약 올리려 그러는 거 아니에요. 말씀은, 예수는, 십자가는 검이라니깐요. 여러분을 도려내버리는 검! 그래서 오늘 본문에도, 예수님의 입으로 나오는 그 말씀의 검이, 사단을, 짐승을, 죽여 버린다. 심판한다. 그렇게 말이 나오는 거예요. 

 

그런데 우리 안에 그 사단적 본능이 있다 말이에요. 그래서 말씀 앞에 서게 되면, 그것을 하나님이 지금부터 심판해 가시는 거라니깐요. 도려 내신다니깐요. 왜? 그 마지막 심판 자리에 서지 말라고! 지금 이 땅에서 도려 내버리시는 거예요. 그래서 저는 매주 말씀을 갖고, 여러분에게 시비를 거는 것입니다. 여러분이 제 설교를 듣고 아프지 않고, 여러분이 제 설교를 듣고, ‘아! 내 존재가 이런 존재인가?’라고, 실망하지 않으신다면, 제가 설교를 잘못하고 있는 거예요. 그러니까 어줍지 않은 전천년! 후천년! 무천년! 이런 거에 관심두지 마시고, 그런 거 갖고 잘난 척 하려고 하지 마시고, 신앙생활을 하시라니깐요. 신앙생활을!

 

성경은 이렇게 반복해서, 또 점층적이며, 점진적인 방법으로, 우리 성도들에게 일어난 일과, 우리 성도들이 마땅히 살아내야 할 바와, 종국에 이 세상이 어떻게 끝이 날 것인가에 대해, 설명하고, 지적하고, 경고함으로써, 우리를 양육하고, 우리를 성숙으로 인도하며, 우리의 거룩을 완성시켜 가고 있는 거예요. 그러니까 다른 것에 관심두지 마시고, 오늘도 나를 죽여 남을 살리는, 그 십자가로 인도하고 계시는 예수님께로, 여러분의 발걸음을 옮기셔야 되는 거예요. 

 

어떤 분들이, ‘우리 교회는 말씀은 좋은데, 사랑이 없다!’ 이렇게 말씀하시는 분들 계세요. 사랑이 뭡니까? 상대방이 지옥 가든 말든, 그 사람들이 듣고 싶은 이야기해주고, 그 사람들 어르고 달래서 기쁘게 해줘서, 그 사람들한테 인기 끄는 게 사랑입니까? 진짜 사랑이 뭐예요? 천국이 어떤 곳인지 알기 때문에, 두들겨 패서라도 끌고 가는 게 사랑이지! 비위 맞춰 주는 게 사랑이냐 말이에요? 어디서 그런 소리를 함부로 하십니까? 왜 사랑이 없어요? 우리가요? 뭐가 사랑이냐 말이에요? 여전히 거기에도 ‘나’예요. 나! ‘왜 나를 사랑 안 해줘?’ 그거 깨란 말이에요. 그거 깨드리는 게, 사랑해드리는 거예요. 아시겠어요? 저는 여러분을 너무 너무 사랑하고 있어요. 얼마나 사랑하고 있는지 매주 경험하시죠? 그런 사랑을 하세요. 기도하겠습니다.